おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

下野谷(したのや)遺跡公園(西武新宿線「東伏見」駅下車徒歩10分)

2011-11-27 21:07:20 | 歴史・痕跡
 下野谷遺跡公園。旧石器時代から近代までの人々が残した遺跡の上に造られ、その上に盛り土をして、今も地下に埋まっている遺跡を守る目的として整備されました。
 今年も春と秋には、発掘調査が行われ、また10月には縄文秋祭りがあり、子供達が作った連凧を揚げたということです。
 西武新宿線「東伏見駅」南口から、早稲田大学東伏見キャンパス(東伏見グラウンド)の間の道路を進み、石神井川を越えてすぐ右手にある急な階段を登った丘の上、住宅と畑に囲まれた広い原っぱ、そこが「下野谷遺跡公園」。
 公園内には、竪穴住居の骨格復元、出土状況復元、地層状態を表す土層模型が建造されています。中央の芝生広場に木が点々と置かれているのは、出土した時の状況が復元されたものです。
 公園の南側には、縄文人が当時食べていたというコナラ・クリ・トチノキ・モミなどの樹木を植えた「縄文の森」があります。
 すっかり葉の落ちた「縄文の森」(まだ出来たばかりのようで、若木が植わって「森」という雰囲気はありません。何十年後が楽しみという感じ。)では、近所の方々が楽しそうにおしゃべりをしながら、落ち葉狩りと草木の手入れをしていました。
 まさに「みんなでつくり・育てる、縄文を体感できるひろば」というコンセプトのそのままでした。
 
「下野谷遺跡」(西東京市No.7遺跡) 西東京市東伏見二・三・六丁目
下野谷遺跡は、石神井川の南側の台地上から低地に広がる、旧石器時代の石器製作跡から、近代の中島飛行機製作所関連施設跡まで複数の時代の人々の痕跡が残る遺跡で、今も公園の地下には遺跡が保存されています。推定面積は約134,000㎡におよび、東側に隣接する練馬区富士見池遺跡群も同じ遺跡の可能性があります。とくに縄文時代中期(約5000~4000年前)には、住居が広場を囲んで輪の形に並ぶムラ(現状集落)が複数あったと考えられており、その規模や内容は、関東地方でも屈指のものです。地面を掘りくぼめて作った竪穴住居のならぶ内側には倉庫のような掘立柱建物があり、さらにその内側にはお墓も作られていました。ムラの周囲にはクリなどの木々がしげり、その実を集めたり動物は魚をとったりしながら、自然とともに生きる豊かな暮らしが営まれていました。 (下野谷遺跡公園内の資料より)

 早稲田大学のグランド(あの齊藤投手が学生の頃、大勢の見物客が押しかけた野球場もあります)の脇の、川沿いの道を下ると、「武蔵関公園」。ここは、練馬区。池の周囲を散策すると色づいたイチョウ、池面に浮かぶ枯葉、鯉の姿、水鳥、野鳥の鳴き声など、深まる秋の風情を満喫させるのにふさわしい公園があります。
地層の断面模型。最上層の黒い地層は、「中島飛行機」の社員寮の基礎部分だそうです。
竪穴式住居の骨格模型。
「縄文の森」。
石神井川下流。水鳥が泳いでいました。
早大グランド(野球場)。
コメント
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