おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「なぜ意志の力はあてにならないのか」(ダニエル・アクスト)NTT出版

2012-02-18 12:16:51 | 読書無限
 パソコンばかりやっている暇はないのに、ついついメールやらニュースやら、ゲームやら、むにゃむにゃやらを追いかけて気がつくとけっこうな時間が経っています。ほどほどに、と後の時間やら用事やら予定やらを考えれば、もうやめておこうと思っても、ついつい・・・。
 かつては、それがテレビだったが、今はテレビには向かず、パソコンに。
 喫煙習慣もそうでしょうか。お酒も。肥満も・・・。結果的にはよくない方向に(健康やら何やらで)いくのを頭では分かっていても、ついつい。たばこを嗜まない人は何で将来的なリスクを抱えるたばこを吸うのか。受動喫煙の危険性も広く騒がれているのに。飲酒も同様。
 食生活も、甘いもの、辛いもの、脂っこいもの、しょっぱいもの・・・、いずれも大量の摂取は身体によくない、皆、分かっているのについつい手が出てしまう。我ながら我と我が身に当てはめて反省しきり。
 多くの人間にとっては、自己コントロールは無理難題なことなのか。「意志」という不思議な(思議できにくい、という)働きを古代ギリシャの哲学者の言説、意識の存在を、特に自己コントロールのありようを実験証明しつつ探求してきた心理学者などの成果などから、近代政治のあり方(議会制民主主義、政府の役割、国民が政治に期待すること・・・)さらには、脳内現象(脳科学、精神作用をつかさどる器官)についてまで幅広く追求した内容が盛り込まれている。実証的な話題が豊富なので、分厚い書だが読み進めることができる。
 では、筆者の結論は、自己コントロールをどうしたら身につけられるのか(実は読者の関心でもあるのだが)?それは読んでのお楽しみ。
 ただ、ここ10年ほどのアメリカの政治政策、経済政策(筆者はアメリカ人)に関して、次の指摘は示唆的だ。
 「民主主義の政府は過剰に約束して徴税不足になり、小細工や楽観的過ぎる見通しに頼って予算のバランスを取ろうとする。・・・コストは将来の自分たちに、それから将来の世代に先送りされる」
 「(先人の言を引いて)『憲法は熱狂にかられたときに自らの手で自らを死に至らしめることがないように、理性的なときに人々が自らを縛っておく鎖』なのだ」
 これまでの長きにわたった福祉政策などの政治姿勢からへ転換し、小さな政府・統治機構にし、国民には「自己責任」を強いて、競争社会を実現することで国家の基盤を高めようと、閉塞感にいらつく国民に対して、声高に叫ぶ政治家も多くなった。
 そこに危機感を思うと、この書の副題「自己コントロールの文化史」ということが、深い意味をもつように感じる。
コメント
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