おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

女街道入口。借宿。追分一里塚。・・・(「旧中山道」をゆく。第11日目。)

2016-08-15 21:02:59 | 旧中山道

 しばらく進むと、「国道18号線」に出ます。その先、国道が上下線に分かれるところで、左の下り線を進みます。バイパスの高架下をくぐり、国道から左の道に入ると「借宿」という集落に。
 なお、国道のすぐ左に坂道(旧道らしい雰囲気)がありますが、そちらには進まないこと。つい行ってしまい、気がついて戻りました。ロスタイムに。

    

東海道の三重以降によく見かけた「飛び出し坊や」風。「飛び出し注意」。

 (10:32)左手に「女街道入口」。関所のあった碓氷峠を避けて上州に向かう道。

    

女街道入口
 江戸時代に「入り鉄砲」「出女」といって当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住まわせていた諸大名の奥方は人質的意義をもっていたので女人の出入りは厳重に取り締まった。したがって女人は関所を避けて裏街道を通るようになった。これを女街道、または姫街道ともいう。
 この街道はこれより本街道と分かれ油井釜ヶ淵橋を渡り風越山、広漠たる地蔵が原をよこぎり和美峠または入山峠を往来したものである。
 「関所さけて女人が多く往来せし女街道と いふは寂しも」
                     

街道筋の廃屋。

 間の宿だった「借宿」は「古宿」とともに信州と北上州、南上州を結ぶ物資輸送の中継基地として馬や牛の中継ぎで栄えました。街道脇には「馬頭観音」石碑が残っています。

その先には「遠近(おちこち)宮」。

 「遠近宮」は『伊勢物語』の主人公として登場する在原業平が、
「むかしをとこ有りけり。京にや住み憂かりけん、あづまの方に行きて住み所もとめむとて、ともとする人ひとりふたりして行きけり。
   信濃の国、浅間の嶽にけぶりの立つを見て 
   信濃なる浅間の嶽に 立つけふり
       をちこち人の 見やはとがめぬ」
と詠んだ和歌から、明和8年(1771)に建立した借宿村の神社に「遠近宮」と名付けたという言い伝えが残っています。この神社は国道18号線の借宿東信号から南に入り、突き当たりを右折すると右手に鎮座しています。借宿は古くは「遠近の里」と呼ばれました。
 境内には山岳信仰の盛んだった証のように、御嶽山神社、三笠山大神、八海山大神の石碑がありました。又、遠近宮社叢は町指定天然記念物(樹木)となっており、特にシナノキが多いのが特徴だそうです。棟札によると享保年間に社殿、鳥居が整備されています。

「軽井沢観光ガイド」HPより)

鶴丸の紋の入った土蔵など、立派なお屋敷が並ぶ街並み。

    

     杉玉を吊した酒屋。
    

                       

新型の信号機。頭上にあるため歩行者には見づらい。

ヤマユリ。

涌き水の出ているところを過ぎると、

(10:44)右手に大きな「馬頭観音碑」。 

 この先で、「国道」に合流します。その手前にも「馬頭観音」碑がいくつか並んでいます。
                       

来た道を振り返って望む。

(10:49)「国道18号線」。車の行き来が激しい。

向かい側には「従是左上州」と彫られた道標。 

「追分」交差点。

 その先には「追分の一里塚」。日本橋からちょうど40里目(約160㎞)―39里目という説もあり―。物の本によると、「東海道」と合流する「草津宿」までは129(?)の一里塚があったらしい。全行程のやっと30%をクリアーしたわけです。まだまだ先は長い!
 こちら・左手(南側)は国道拡幅後に復元されたもので、向かい側・右手(北側)が本物。左右の塚が存在しています。 

左手のもの。右手のもの。

 向こう側に渡ろうとしましたが、車が上下とも途切れることなく、さらに横断信号も離れています。やっと渡ることができましたが、かなり危険。手前の「追分」の交差点・歩道橋で渡っておいた方がいいようです。

    


          南側の塚(復元)。

 (11:02)その先、ガソリンスタンドのところを右手に入っていく道が旧道で、「追分宿」の入口となります。
    
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