軽井沢・沓掛宿~岩村田宿 概念図
(「」HPより)
けっこう車の行き交う県道に沿って南に向かいます。(14:47)途中、右手に草原があります。「皎月原」。
佐久市文化財 名勝 皎月原
皎月原は旧中山道沿い、小田井宿と岩村田宿の中間、小田井宿よりの草原で、古くから指定地に関する古記録や伝説があって、中山道に於ける著名な名勝として知られている。伝説によれば用明天皇(586年)皎月という官女が、おとがめを受けて佐久郡の平尾へ流されてきた。いつも白馬を愛していた官女はある時、小田井の原へ馬を引き出して乗りまわしていた。ところが天の竜馬だった白馬は、空へかけ上がり、東西南北をかけまわった後、平尾山の頂上に立ちどまった。そこで官女は「吾は唯人ではない。白山大権現だ」と云って光を放って岩の中へ入ってしまった。その後女官は白山大権現と云うようになり、時々小田井の原へ来て馬の輪乗りをし、其跡には草が生えなかったので、其処を皎月の輪と呼ぶ様になったと伝えられている。
只「村上家伝」の村上其国の伝記には全くの異説が載っている。
平成2年10月1日 佐久市教育委員会
広重の浮世絵の通り、かつては大草原だったようです。現在は、奥には歌碑やら解説板がある、こぢんまりとした草原。しかし、蚊やダニに喰われたら大変なので、そうそうにして引き返しました。
来た道を振り返って望む。日差しが強い!
「岩村田」方向を望む。
(15:02)左手のこんもりとした林のところに「鵜縄沢端一里塚」解説板。塚らしい雰囲気はなさそうです。
市文化財 鵜縄沢端一里塚
この一里塚は慶長年間(1598~1614)中山道開通当初に設置されたものである。その後の道路改修によって街道からはづれてしまったが両塚の間の道路は中山道の旧い道筋を示すもので貴重なものである。
平成2年3月31日 佐久市教育委員会
この標識から少し林の中に入ったところに東塚が残っているそうです。しかし、足を踏み入れようにも・・・。
奥の小高い林の向こうに?
この付近の両側には、大規模なお店が並んでいます。
「珈琲哲学」。
しかし、目を東に転ずると、自然豊かな風景が。
リンゴ畑が広がっています。
まだまだ青いリンゴと木の下には小さなリンゴが落ちています。
遠くには平尾山? この付近では山並みもはるか彼方。
佐久平の一角。(15:16)「上信越自動車道」の上を行く。
西方向。 東北方向。
実りつつあるりんご。
(15:26)路傍の石仏群。
次第に「岩村田宿」に近づいてきます。
「住吉神社」。この辺りが「岩村田宿」入口。
家紋入りの土蔵造り。
(15:33)右手には「善光寺道道標」。
交通事故で破損し、再建されたもののようです。元の道標は「住吉神社」境内に。
立派なお屋敷。
案内板には「↑清里 →諏訪 白樺湖」。ここは、「小海線」のエリアです。
門構えもなかなかのもの。
左手には武田信玄ゆかりの「龍雲寺」。武田信玄の帰依が熱く、信濃路に出兵する際は必ず詣で戦勝祈願をした。境内には、信玄霊廟があり遺骨とその副葬品と伝えられるものが納められています。
(15:40)「岩村田」交差点。
今回は、ここまで。
右に折れ、しばらく進むと小海線・「岩村田」駅になります。そこから一駅で新幹線「佐久平」駅。帰京するのは早くて便利ですが、あえて小海線で小諸まで出て、しなの鉄道で「軽井沢駅」まで戻りました。その理由は、次回。