古民家カフェ「夜明け前」。

北西に向かって下って行くと、広場が。この建物は、そこにあります。駐車場もあって、けっこう人が立ち寄っています。

奥の座敷や縁側で休憩ができます。
暖簾には「天平」と。

「夜明け前」がリノベーションし、古民家カフェとしてH30年4月7日にオープン! とのこと。
その左隣にあるのが「10 picnic tables」。

「10 picnic tables(テンピクニックテーブルス)」は和を感じる創作イタリアンのお惣菜をはじめ、コーヒーやスイーツが揃う新感覚デリカカフェ。
公園でピクニック気分が楽しめ、選べる四季折々の美味しいお料理&お弁当。
ご家族と。お友達と。お1人でも。
気軽に美味しく、楽しい、下野市のNEWスポット 天平の丘公園の10 picnic tables。
(「
」HPより)
そこで飲み物を購入、ジャズが流れる庭先で小休止。
「盛岡石割桜」。
平成8年、盛岡裁判所庭に咲く天然記念物シロひかんで石割桜と呼ばれている桜の子孫をここに移植した、とのこと。
この公園は、一帯にさまざまな桜が植えられ、春になると大勢の見物客で賑わうそうです。
さて、レンタサイクルで移動。次は、「下野国分尼寺」跡です。

~下野国分寺・国分尼寺~
国分寺は奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇が国の平和と繁栄を願い、国ごとに造営を命じた寺院です。
下野国分寺跡は大正10年3月3日に国の史跡に指定され、現在は伽藍の基壇(建物の基礎)跡が地膨れとなって平地林の中にひっそり眠っています。・・・
下野国分尼寺は昭和39~43年度にかけて栃木県教育委員会と町教育委員会により4次にわたる発掘調査が実施され、伽藍配置が明らかになりました。昭和40年に僧寺同様国指定史跡となり、昭和45年度までに国・県の補助を受けて史跡整備が実施されました。・・・
「国分尼寺」は別名「法華滅罪之寺」と呼ばれています。
下野国分尼寺跡(国指定史跡)
下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東方約600mのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇の詔によって建てられた国立の寺院です。
伽藍(寺の建物)配置も、国分寺と同様に東大寺式ですが、塔はつくられませんでした。
昭和39年度から43年度にかけての発掘調査の結果、建物の規模は、金堂が間口7間(21m)×奥行き4間(12.1m)で、凝灰岩の礎石をもつ瓦葺きの建物であることがわかりました。
また、講堂の北側には尼たちが日常生活を営む尼房という建物も見つかっています。さらに、平成5年度から10年度にかけて、寺院の範囲を確認するための発掘調査が実施され、その結果、全体の規模は南北約270m、東西約145mで、その東側に南北約211m、東西約52mの張り出し部分があることがわかりました。
現在、下野国分尼寺跡は、主要伽藍の基壇と礎石が復元表示され、史跡公園として人々の憩いの場として活用されています。
(この項、「
」HPより)

「中門跡」。
「金堂跡」。
西(「国分寺」跡方向)を望む。
ところで、

JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター。吉永小百合さんの後ろのすばらしい桜は、「国分尼寺跡」の桜とのことです(地元の情報)。
敷地内には、この他にも大きな桜の古木が見られます。薄墨桜、シダレザクラ・・・。
「鐘楼跡」。
吉永小百合さんの背後に咲く満開の桜は、この桜のようですが・・・。
広々とした空間。
ここにどれほどの素晴らしい堂塔がそびえていたか。天平の古を空想させます。
「僧坊跡」。
「鐘楼跡」。
「経蔵跡」。

北西に向かって下って行くと、広場が。この建物は、そこにあります。駐車場もあって、けっこう人が立ち寄っています。




「夜明け前」がリノベーションし、古民家カフェとしてH30年4月7日にオープン! とのこと。
その左隣にあるのが「10 picnic tables」。


「10 picnic tables(テンピクニックテーブルス)」は和を感じる創作イタリアンのお惣菜をはじめ、コーヒーやスイーツが揃う新感覚デリカカフェ。
公園でピクニック気分が楽しめ、選べる四季折々の美味しいお料理&お弁当。
ご家族と。お友達と。お1人でも。
気軽に美味しく、楽しい、下野市のNEWスポット 天平の丘公園の10 picnic tables。
(「

そこで飲み物を購入、ジャズが流れる庭先で小休止。


平成8年、盛岡裁判所庭に咲く天然記念物シロひかんで石割桜と呼ばれている桜の子孫をここに移植した、とのこと。
この公園は、一帯にさまざまな桜が植えられ、春になると大勢の見物客で賑わうそうです。
さて、レンタサイクルで移動。次は、「下野国分尼寺」跡です。


~下野国分寺・国分尼寺~
国分寺は奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇が国の平和と繁栄を願い、国ごとに造営を命じた寺院です。
下野国分寺跡は大正10年3月3日に国の史跡に指定され、現在は伽藍の基壇(建物の基礎)跡が地膨れとなって平地林の中にひっそり眠っています。・・・
下野国分尼寺は昭和39~43年度にかけて栃木県教育委員会と町教育委員会により4次にわたる発掘調査が実施され、伽藍配置が明らかになりました。昭和40年に僧寺同様国指定史跡となり、昭和45年度までに国・県の補助を受けて史跡整備が実施されました。・・・
「国分尼寺」は別名「法華滅罪之寺」と呼ばれています。
下野国分尼寺跡(国指定史跡)
下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東方約600mのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇の詔によって建てられた国立の寺院です。
伽藍(寺の建物)配置も、国分寺と同様に東大寺式ですが、塔はつくられませんでした。
昭和39年度から43年度にかけての発掘調査の結果、建物の規模は、金堂が間口7間(21m)×奥行き4間(12.1m)で、凝灰岩の礎石をもつ瓦葺きの建物であることがわかりました。
また、講堂の北側には尼たちが日常生活を営む尼房という建物も見つかっています。さらに、平成5年度から10年度にかけて、寺院の範囲を確認するための発掘調査が実施され、その結果、全体の規模は南北約270m、東西約145mで、その東側に南北約211m、東西約52mの張り出し部分があることがわかりました。
現在、下野国分尼寺跡は、主要伽藍の基壇と礎石が復元表示され、史跡公園として人々の憩いの場として活用されています。
(この項、「





ところで、

JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター。吉永小百合さんの後ろのすばらしい桜は、「国分尼寺跡」の桜とのことです(地元の情報)。
敷地内には、この他にも大きな桜の古木が見られます。薄墨桜、シダレザクラ・・・。

吉永小百合さんの背後に咲く満開の桜は、この桜のようですが・・・。

ここにどれほどの素晴らしい堂塔がそびえていたか。天平の古を空想させます。


