おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「天平の丘公園」。その4。「万葉植物園」・・・(「日光例幣使街道」番外編。)

2018-10-12 23:40:10 | 日光例幣使街道
                        「さわひよどり沢鵯(沢蘭・さわあららぎ)」。
この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は 黄葉たりけり 孝謙天皇
この里は、いつも霜(しも)が降りるのでしょうか。夏の野で私が見た草《澤蘭(さはあららぎ)》は、色づいていました。

 この歌の題詞には
 「孝謙天皇と光明皇后が揃って藤原仲麻呂の家にいらっしゃった時に、色づいた澤蘭(さはあららぎ)を一株抜き取って、・・・藤原仲麻呂にお贈りになった歌」
 とあります。

(「」HPより)

「すみれ」。
春の野に すみれ採(つ)みにと 来しわれそ 野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける 山部赤人

「ささ」。
小竹(ささ)の葉は み山もさやに 乱るとも われは妹思ふ 別れ来ぬれば 柿本人麿
 柿本さんの熱い思いにはささやかすぎる笹の群れ(それもなさそう)。

「すもも」。
吾が園の 李(すもも)の花か 庭に散る はだれのいまだ 残りたるかも 大伴家持

「しきみ」。
奥山の 樒(しきみ)が花の 名の如とや、しくしく君に 恋ひわたりなむ 大原真人今城(おおはらのまひといまき)

「たで(蓼)」。
童(わらは)ども 草はな刈りそ 八穂蓼(やほだて)を 穂積(ほずみ)の朝臣(あそん)が 腋草を刈れ 平群朝臣(へぐりのあそん)

意味: 子供たちよ、草を刈るな 穂積の朝臣の(におう)脇毛を刈りなさい。

平群朝臣(へぐりのあそん)が、穂積の朝臣をからかって詠んだ歌。
(「Wikipedia」より)
 「タデ」といえば、「蓼(たで)食う虫も好き好き」ということばがあります。辛い蓼(たで)を好んで食う虫があるように、人の好みはさまざまだ、というたとえとして用いられます。
 タデは湿地に生え、草丈30㎝~80㎝程の高さになり、葉の形は披針形をしていています。茎や葉に辛味があり、古くから薬味として親しまれ、特に、タデの香りと辛味が塩焼きにした鮎独特の内臓の苦みや香りと相性がいいようです。
 刺身のつまとして用いられる赤紫のタデは、「ベニタデ(紅蓼)」という種類になります。

という具合に、興味深い歌も多くあって、楽しませてくれます。

「ていかかずら(つた)」。
岩綱(いはつな)の また変若(をち)ちかへり あをによし 奈良の都を またも見(み)むかも
 岩綱のように、また若返って、奈良の都をまた見ることができるでしょうか。

岩綱は蔦のこと。

 奈良から恭仁京(くにのみやこ)に遷都され、奈良の都が荒廃していくのを悲しんで詠んだ歌、三首のひとつ。

ツタ
 キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木で、和名は「定家葛(ていかかずら)」。平安末期、式子内親王を愛した藤原定家が、死後に葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説から、この名がついたとされています。(能『定家』)

「ところ(ところづら)」。
皇祖神(すめろき)の 神の宮人 冬薯蕷葛(ところづら) いや常(とこ)しくに われかへり見む
代々の天皇に仕えている宮人は野老(ところ)の蔓(つる)のように末長く見守りたいものです。

「トコロ」。
 ヤマノイモ科の蔓性 (つるせい) の多年草。原野に自生。葉は心臓形で先がとがり、互生する。雌雄異株。夏、淡緑色の小花を穂状につける。根茎にひげ根が多く、これを老人のひげにたとえて野老 (やろう) とよび、正月の飾りに用い長寿を祝う。根茎をあく抜きして食用にすることもある。

(注:写真では「ところ」がどれか定かではありません。足下の小さな草? )

「なでしこ」。
野辺見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも

「にわとこ(やまたづ)」。
君が行き 日(け)長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ 衣通王(そとほしのおほきみ)

あなたがいらっしゃってから、ずいぶんと日が過ぎてしまった。山たづのように、あなたを迎えに行きましょう、待ってなんかいられない。

 軽太子(かるのひつぎのみこ)が軽太郎女(かるのおおいらつめ)と関係を結んだので、太子は伊豫(いよ)の湯に流された。この時に、衣通王(そとほしのおほきみ:軽太郎女のこと)は恋しさに堪えかねてあとを追っていった時に詠んだ歌、とあります。

「つげ」。
君なくは、なぞ身(み)装(よそ)はむ、櫛笥(くしげ)なる、黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も、取らむとも思はず 播磨娘子(はりまのおとめ)

あなた様がいらっしゃらないなら、どうして身を装ったりするでしょうか。櫛箱(くしはこ)の黄楊(つげ)の小櫛も手に取ろうとは思いません。

「櫛笥」は、櫛や化粧具を入れる箱のこと。

「なつめ」。
玉掃(たまばはき) 刈り来(こ)鎌麻呂(かままろ) むろの樹と 棗(なつめ)が本を かき掃(は)かむため 長意吉麻呂(ながのおきまろ)

玉掃(たまばはき)を刈(か)って来なさいよ、鎌麻呂(かままろ)よ。むろの木と、棗(なつめ)の木の下を掃除(そうじ)するために。

「玉掃」は、キク科の高野箒(こうやぼうき)のこと。
(「Wikipedia」より)

 「万葉集」に登場する草花、樹木は主に一年草や落葉樹が多く、秋から冬にかけては、開花の時期に合わせての鑑賞に適さないものもあり、また「植物園」の趣を保つための手入れも大変そう。

「ふじ」。
藤波の 咲き行く見れば 霍公鳥(ほととぎす) 鳴くべき時に 近づきにけり 田辺福麿

「ひめゆり」。
夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ 坂上郎女(さかのうえのいらつめ)

(「」より)

手前が「ふたりしずか(つぎね)」、奥が「ほおのき」。
つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し徒歩(かち)より行けば ・・・

「つぎねふ」は「山城」にかかる枕詞。

和名は、2本の花序を、能楽「二人静」の静御前とその亡霊の舞姿にたとえたもの。

「ほおのき」
我が背子(せこ)が 捧げて持てる 厚朴(ほほがし)は あたかも似るか 青き蓋(きぬがさ) 僧(ほうし)恵行(えぎょう)

あなたさまが持っていらっしゃる厚朴は、まるで青い蓋(きぬがさ)のようですね。

注:ここでの「あなた」とは、大伴家持のこと。

「ひがんばな(いちし)」。
道の辺の 壱師(いちし)の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻は 柿本人麻呂歌集

道のほとりに咲く彼岸花が目立つように、世間に知られてしまった、我が恋妻のことを(心のうちにしまっておいたのに)。

 ということで、ゆっくりと鑑賞する時間もなく一巡しました。園内には他にも、

我がやどの い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕べかも 大伴家持

家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 有間皇子

白露と 秋萩とには 恋ひ乱れ 別くことかたき 我が心かも よみ人知らず

などがあるようです。

 なお、万葉歌の鑑賞にあたっては、「たのしい万葉集: 草花を詠んだ歌」HPを参照させていただきました。
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