おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「西八王子」駅~「箱根ヶ崎」駅まで。その5。(「日光千人同心街道」をゆく。第1日目。)

2018-10-26 19:30:50 | 日光千人同心街道
「国道16号線」。一段と広くなった国道を進みます。左手は「都立多摩工業高校」。

「松原」バス停。松並木でもあったのか?

(12:48)「武蔵野橋南」交差点を斜め右に曲がる。

旧道はまもなくJR線に突き当たるので、右折し、拝島駅構内の通路を通り、反対側に。


(13:00)旧道の復活地点まで戻って渡る橋が「日光千人同心街道」にちなむ「日光橋」。この先、「日光街道」という呼称が多く出てきます。
 

下の流れは「玉川上水」。

          
          
1880年代のようす。○が「玉川上水」に架かる「日光橋」。    2010年代のようす。「国道16号線」は拡幅工事中。

次の信号を左に曲がって「国道16号線」に合流。右側には長い壁とフェンスが続いてくる。(13:23)広大な「横田基地」が。



      (13:33)旧道は「第五ゲート」付近で基地内に消える。

 「第五ゲート」付近から北一帯の今昔
                          
                          
         
         
         
         
         
1880年代のようす。田畑の中の一本道。           2010年代のようす。旧道の一部が基地内の道として残っている?
 上で交差する道が「青梅街道」、最下方に少し見える道が「五日市街道」(「第五ゲート」付近)。三つの旧道とも基地内で消滅している。       
     
在日米軍基地 U.S.AIR FORCE Yokota Air Base
警告
 基地司令官の許可なくこの区域に立入る事は法律違反である。
 不法な立入りは日本国法律によって罰せられる。(刑事特別法第2条 昭和27年5月7日法律第138号)この区域にいる間は全ての人は身体及び所持品の捜索を受けるかも知れない。
 軍犬隊により巡回されている。
                横田基地(Yokota Air Base)」。
所在地 東京都福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市
種類 軍用飛行場 
所有者 在日米軍 
運営者 アメリカ空軍、航空自衛隊 
運用時間 24時間 
開設 1940年
所在部隊 在日アメリカ軍司令部 在日アメリカ空軍司令部 アメリカ第5空軍司令部 アメリカ第5空軍第374空輸航空団
        航空自衛隊航空総隊司令部 航空自衛隊航空戦術教導団司令部

概要
 大日本帝国陸軍の航空部隊の基地として開設され、第二次世界大戦後より、在日アメリカ軍司令部および在日アメリカ空軍司令部と、アメリカ第5空軍司令部が置かれている、東アジアにおけるアメリカ軍の主要基地であり、極東地域全体の輸送中継ハブ空港(兵站基地)としての機能を有している。 また朝鮮戦争休戦協定における国連軍の後方司令部も置かれている。
 2012年3月からは、移転再編された航空自衛隊の航空総隊司令部なども常駐するようになり、日米両国の空軍基地となった。
 拝島駅の北側で、東福生駅や牛浜駅の東側に位置し、福生市、西多摩郡瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市の5市1町(構成面積順)に跨がっている。沖縄県以外では日本国内最大のアメリカ空軍基地であるが、沖縄県の在日米軍基地のように民有地の借り入れがなく、その殆どが国有地で占められている。
 日米の軍用機の運用のほか、近年ではアメリカと同じく北大西洋条約機構(NATO)加盟国である、フランス空軍輸送機(エアバスA340-200型機)の、フランス本土からニューカレドニアなどのフランス海外県への移動の際に、テクニカルランディング地として使用されることもある。
 なお、日米地位協定により、アメリカ軍人・軍属・それらの家族は、出入国管理の搭乗手続きを必要としない。そのため、日本国内で犯罪を犯したアメリカ軍将兵や、軍を掌握するアメリカ高位高官が軍用機で出入国しても、それが日本側に告知されない限り、日本国政府はその事実を知ることができない。
 2017年には大統領専用機でドナルド・トランプが出入りしているが、これも法的には、アメリカからの出国や日本への入国を行っていない。
 接収後に基地の拡張工事が行われ、1960年頃にはおおむね現在の規模となった。拡張に際しては、北側で国鉄八高線や国道16号の経路が変更され、南側で五日市街道が分断された。朝鮮戦争当時はB-29爆撃機の出撃基地として機能し、ベトナム戦争時も補給拠点として積極活用されていた基地である。
 2012年3月26日に航空自衛隊の航空総隊司令部などが府中基地より移転し、航空自衛隊横田基地の運用が開始された。

名称
 多摩飛行場の敷地大部分が当時の西多摩郡福生町(現在の福生市)にあったことから、地元や陸軍航空審査部では福生飛行場(ふっさひこうじょう)と呼ばれていた。この多摩飛行場・福生飛行場を、アメリカ軍が戦中より「YOKOTA」と呼称したのは、アメリカ陸軍地図サービスが1944年に作成した地図資料『JAPANESE AIRFIELDS』では、北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)の大字名であった「Yokota」が、「Fussa」や「Hakonegasaki」より飛行場近くに記載されていたためと考えられており、地名としての「横田」は現在では消滅したものの、「武蔵村山市役所」の西隣のバス停名称として残っている。その後は、横田基地が存在していることにより、「横田」を冠したトンネルや店舗、教会が点在するようになっている。
 横田飛行場には、現在も戦争継続中の朝鮮戦争における国連軍の後方司令部が存在しており、常勤の要員として軍人3名・軍属1名が配置されている。また国連軍参加国のうち、8ヶ国の駐日大使館付駐在武官が参加する合同会議が、3ヶ月に1回程度の割合で開かれており、事実上の駐日武官の連絡詰所となっている。飛行場には日章旗、星条旗の他に、国連旗が常時掲揚されている。
 国連軍後方司令部は、朝鮮戦争休戦協定成立後、1954年(昭和29年)に、日本とイギリス、アメリカ、フランスなど10ヶ国(のちにタイ王国も加わる)が「国連軍地位協定」を結んだことが始まりで、現在でも朝鮮戦争が戦時国際法上「休戦」中(戦争継続中)であることが、日本に設置する根拠となっている。かつてはキャンプ座間に設置されていたが、2007年(平成19年)11月2日に横田飛行場へ移転した。
 2012年3月26日から「航空自衛隊横田基地」として運用を開始した。

横田基地の基地総面積:7.136km2
(南北約4.5km 東西約2.9km 周囲約14km)
滑走路:3,350m×幅員60m 1本
付帯設備:管制塔、誘導路、格納庫、駐機場、整備工場、通信施設、旅客ターミナル、東京税関立川出張所横田旅具検査場

その他施設:消防署、兵員宿舎、将校宿舎、家族住宅、スーパーマーケット、病院、診療所、教会、小中高等学校、大学、幼稚園、小銃射撃訓練場、ごみ処理場、図書館、郵便局、放送局(「AFN Tokyo」) 、フードコート(アンソニーズ・ピザ、チャーリーズ・ステーカリー、スターバックス、シナボン、ポパイズ、タコベル、サーティワン)、チリーズ、バーガーキング、映画館、体育施設(野球場、ボウリング場、ゴルフコース等)

基地内人口:約8,800人(内訳 軍人・軍属:約4,300人、家族:約4,500人) 日本人従業員:約2,200人。

(以上、「Wikipedia」参照。)

 JR「八高線」に沿って「わらつけ道」という道があり、先達にはそちらを歩くケースが多いようですが、あえて基地沿いの「16号線」を進みます。道路をはさんで基地の反対側の歩道沿いにいろんなお店が並んでいます。
 

 

 もっと人通りが激しいと思いましたが、けっこう閑散としています。アメリカナイズされたお店(アンティークの店が多い)や食べ物屋さんに入る人・・・ほとんどが日本人観光客?

 注:「アンティーク」(antique)は、フランス語で骨董品のこと。

 小さな公園では基地反対・オスプレイ配備反対の集会。
お店の名が入った「観光案内図」が随所に。
ベンチも随所に。
コメント
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