河川敷に「深谷ねぎ」の大きな畑。収穫期が異なるネギ畑が整然と。
農作業中の姿も。
薄の穂が風になびく。
歩く人がいない「利根川自転車道」をテクテクと。
河川敷のグランドの脇にトイレがあったので立ち寄ります。
土手を見上げる。
「自転車(専用)道」ということで、要所要所に大きな休憩施設があります(歩く者にとってはかなりの距離がある)が、歩行者には、途中、ベンチもトイレも設置されていません。階段もほぼなし。
「173.5㎞」ポスト。
グランド脇の「深谷ねぎ」畑。
「上武大橋」を過ぎる。
この付近は江戸時代から北越街道のルートであり、「中瀬の渡し」と呼ばれる官営の渡船が設けられた渡河点で、1883年に木造の船橋「向島橋(ごうそうばし)」(509 m)が架けられた記録があるが、これを改めて永久橋となったのは1934年竣工の橋が最初である。・・・群馬県道・埼玉県道14号伊勢崎深谷線が通っており、かつては道幅が狭いうえに大型車の通行量が多く、すれ違いにも苦労したため特に通勤・帰宅ラッシュが激しかった。また、道路橋の上流側には1982年(昭和57年)3月完成の側道橋があり、歩行者・自転車はここを通行する。 1992年(平成4年)2月20日に国道17号 上武道路が開通し、3.5 kmほど下流に新上武大橋が架けられ、ほとんどの大型車はこちらを通るようになった。これにより一定の渋滞緩和の効果はあったものの、以前に比べて減少したとはいえ未だに大型車の通行もあることから、朝の通勤時間帯は相変わらず渋滞が発生していた。
架橋後80年近くを経過して老朽化が著しく、また幅員が狭いため、2013年より橋の架け替え工事を始め、今までの橋の川下側に架設され、2018年3月17日15時に新橋が供用開始された。
役割を終えた旧橋は2018年9月より解体され、親柱とトラス橋の部材の一部が橋の袂の深谷市側において「上武大橋のあゆみ」と名付けられたモニュメントとして保存されている。この部材には太平洋戦争(大東亜戦争)時にアメリカ軍によって付けられたとされる弾痕が残る。
(この項、「Wikipedia」参照)
左手、橋のたもとを見上げたときに、橋桁のモニュメントがあると気づきましたが、こういう曰く因縁があるとは思わず、スルーしてしまいます。そこで、
旧上武大橋橋桁に残る機銃掃射弾痕
(「 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝 ...https://senseki-kikou.net › 」)の投稿写真を転載させていただきます。
モニュメント。
機銃掃射の跡。貫通している。
この先で、「群馬県伊勢崎市境島」に入ります。