おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その4。柳瀬川を遡る。清瀬橋。旧川合流地点。空堀川。(都県境を探る。第8回目。)

2022-12-25 20:31:02 | 都県境を探ってみる

松柳橋。

         柳瀬川をはさんで、所沢市下安松を結ぶ人道橋。

上流を望む。

下流を望む。

所沢市下安松地区。

ここで、再び清瀬市に。

都県境の道路。

           左が所沢市、右が清瀬市。

塗りつぶしたエリアが所沢市に。

柳瀬川回廊案内板。

「清瀬橋」に。

旧川合流地点の公園。

      清瀬中里緑地保全地域(C地区)への木道。

旧川合流地点解説板。

         旧柳瀬川と旧空堀川の合流地点。

現在の柳瀬川と旧柳瀬川。

境橋。

             対岸の所沢市下安松地区を望む。

くるまや橋。柳瀬川。

空堀川沿いに進んで、石田橋を渡って都県境の柳瀬川に向かう予定。

             

空堀川。

空堀川

東京都武蔵村山市本町の市立野山北公園域内、若しくは都立野山北・六道山公園域内の丘陵に源を発する。概ね東へ流れ、東大和市高木で奈良橋川が合流する。そして清瀬市中里の小金井街道清瀬橋付近で柳瀬川合流する。

天保11年(1840年)の麁絵図では「薮川」と呼ばれていた。1940年(昭和15年)の地図では「砂川」と呼ばれていた。2021年現在においても、武蔵村山市・東大和市・東村山市の橋梁には名称に「砂」が入るものが存在する。

その後、かつては古多摩川が南下する際に取り残された小流で、雨が降った時のみ水が流れる「涸れ川」であったことから、「空堀川」の名がつけられた「から『ぼ』りがわ」が正式だが、「から『ほ』りがわ」としばしば呼ばれる。しかしながら「から『ほ』りがわ」と書かれている看板も少なくない。

昭和から平成にかけての高度経済成長期には流域における急速な宅地開発によって生活排水や工業排水が流れ込み、下水道同然の酷く汚れた川であったが、1981年(昭和56年)に清瀬下宿に汚水処理施設が稼働するなど徐々に汚水は無くなっていった
生活雑排水が流れ込んでいた時代は水量が増え干上がることはなくなっていたが、生活雑排水が流れ込まなくなってからは水量が減り、現在一部流域では水が流れなくなることがある。そのため、柳瀬川・空堀川流域連絡会では川の将来像として「常時涸れることのない川」を挙げている
一方で蛇行する部分が多く且つ川幅が狭かったこともあり、降雨のたびに洪水を引き起こしている。1974年(昭和49年)から2016年(平成28年)の間で41回の浸水・溢水を記録した。そのため東京都は、1971年(昭和46年)11月5日に改修工事整備の都市計画を決定させ、流域で発生する水害を軽減・防止するために直線化及び川幅を拡大する改修工事を進めている流路と流路の間に直線の水路を整備し、改修工事完了までは暫定的に旧流路の調節池の機能を持たせる手法が使われている。最終的には調節池となっていた新流路同士をつなぎ合わせ、直線の流路に切り替わる予定である。柳瀬川合流点の流路も大きく変更が加えられている。
                               (この項、「Wikipedia」より)
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