本格的な冬の到来を告げるかのようなユリカモメが、隅田公園にやってきました。
赤いくちばしと脚が目立つ
白色が鮮やかなカモメ
全長40cm。冬鳥として、全国の河、河口、湖沼、海岸に至る水辺に来ます。赤いくちばしと足がきれいな小型のカモメの仲間で、水上に群がる姿は白い花が一面に咲いたようです。在原業平や和泉式部の古歌に登場する都鳥(みやこどり)はこの鳥で、東京都の鳥に指定されています。江戸時代には考えられなかったウォーターフロントは、ユリカモメの目にどう映っているのでしょう。何でも食べるたくましさを持っていて、そういえば東京都のゴミ捨て場の新・夢の島にも、廃棄物をつつく姿が見られます。日本を去る4月中旬頃には、頭が黒い頭巾をかぶったようになります。カモメ類ではいちばん内陸にまで飛来する鳥で、海岸から数10キロも入った川岸の街や牧草地でエサをあさったりしています。「ギィー」とか「ギュゥーィ」と聞こえる声で鳴きます。日本には主にカムチャッカ半島から渡って来ることが、標識調査の結果からわかっています。・・・名前は、入江(いりえ)のカモメ―イリエカモメがユリカモメに転じたもの、百合を当て字にしたもの、という説があります。
/塩にしても いざことづてん 都鳥 芭蕉/
(この項「」HPより)
※塩にしても いざことづてん 都鳥 芭蕉
『伊勢物語』の「名にしほはばいざこととはむ都鳥わがおもふ人はありやなしやと」をパロディー化したもの。都へ帰る春澄に都鳥を塩漬けにしてでも持って帰ってください、というのである。塩漬けにされては都鳥もかたなしであろう。
都鳥は冬の渡り鳥、ゆりかもめのこと。
延宝6年(1678)11月、芭蕉35歳の時の作。蕉風確立前の談林俳諧時代の作品。
『伊勢物語』第9段
なほゆきゆきて武蔵の国と下つ総の国との中に、いとおほきなる河あり。それを角田河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく、遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折りしも、白き鳥の嘴と脚とあかき、鴫のおほきさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
名にしおはゞいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
他の種類のカモも混ざって。
名残の紅葉。
隅田川堤のサクラもすっかり葉が落ちて。
向かいの隅田川にも、まもなくユリカモメがたくさん集まってくることでしょう。