おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「わたらせ渓谷鐵道」その8。渡良瀬橋。間藤駅。壁画「ニホンカモシカ」。トロッコわっしー号・トロッコわたらせ渓谷号。(関東ローカル私鉄の旅。その7。)

2023-10-01 20:16:37 | ローカル鉄道の旅

「渡良瀬橋」。

正初期には既に存在し、当初は一部木製の馬車鉄道の通る鉄橋だったという。その後数度改修などが行われ、2007年現在架かっているのは、1935年に鋼鉄部分をそのまま鉄筋とする形で改修されたコンクリートアーチ橋である。なお、1998年、老朽化などのためすぐ隣に新渡良瀬橋が架けられて自動車はそちらを通るようになり、元の渡良瀬橋は自転車·歩行者専用橋になった

※森高千里の曲「渡良瀬橋」で歌われる「渡良瀬橋」は、栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かるトラス橋下路平行弦6連ワーレントラス橋。 橋長243.27m、幅員5.5m 森高千里がこの橋をモデルに渡良瀬橋 (曲)同名の楽曲を発表したことによって存在が全国的に知られるようになり、観光名所となっている。

まもなく終着駅の「間藤(まとう)駅」に到着。

         

旅客終着の間藤駅

足尾線は私鉄により開設され、この駅は大正3年(1914)11月1日に営業を開始した。時あたかも足尾銅山全盛期であり、鉄道は物資の輸送増強に必要であった。同7年に国鉄に移った。しかし、昭和62年(1987)に全町民野の猛烈な反対も空しく、赤字により廃止され、JRに移った。平成元年(1989)から第3セクター「わたらせ渓谷鉄道」として出発した。その間、昭和45年に無人化(最高時18人)され寂しい駅となったが、平成6年(1994)に陶芸教室と合築し「カモシカの見られる駅」として新装され注目されている。

振り返る。

かつてはこの先まで線路が伸びていました。

わたらせ渓谷鐵道の終着駅でトロッコわっしー号の始発・終着駅です。国鉄時代は1.9km先の足尾本山駅まで貨物専用の線路が伸びていましたが、現在は廃線となっています。
国の特別天然記念物に指定されているニホンカモシカに出会える(かもしれない)駅として知られており、駅舎にはニホンカモシカをモチーフにした壁画があります。
また、間藤駅は紀行作家の宮脇俊三が1977(昭和52)年に国鉄全線を完乗した場所で、著書「時刻表2万キロ」の終着駅として、今も訪れるファンが絶えません。
駅前からは日光市営バスが出ていて、日光東照宮やJR・東武日光駅まで約35分ほどです。
足尾ダムは、渡良瀬川の上流、松木川、仁田元川、久蔵川の合流点に造られた砂防ダムです。ダムの壁画にはカモシカをデザインした陶版壁画(日本最大規模)があり、「あかがね親水公園」として町の新しい名所になりました。1890(明治23)年に建設された「間藤水力発電所跡」や重文に指定されている「古河橋」、「本山製錬所跡(大煙突)」を見ながら、駅から徒歩で約50分です。ここからさらに徒歩で2時間の松木渓谷は、荒涼とした岩壁が連続し「東洋のグランドキャニオン」とも呼ばれ、訪れる人を魅了します。

壁画「ニホンカモシカ」。

トロッコわっしー号

わたらせ渓谷鐵道のキャラクター「わ鐵のわっしー」をモチーフにデザインされたトロッコ列車です。 窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両と、窓ガラス付きの普通車両を連結して、2両編成で走ります。(冬期はトロッコ車両も窓にガラスを取り付けて運転します。) 車窓には渡良瀬川の渓谷が広がり、吹き込む風を全身で受けながら、自然の織りなす美しい景色を楽しめます。

《運転区間》桐生~間藤

トロッコわたらせ渓谷号

ディーゼル機関車が4両の客車を引っ張る昔ながらのスタイルで、鉄道ファンにも人気があります。 機関車にはトロッコ車両と同じ銅色をした「DE10-1537」と、赤い色をした「DE10-1678」の2種類あり、どちらが走るかは当日のお楽しみです。 車両は窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両2両を、窓ガラス付きの普通車両2両で挟み込んだ格好で連結します。
車窓には渡良瀬川の渓谷が広がり、吹き込む風を全身で受けながら、自然の織りなす美しい景色を楽しめます。

《運転区間》大間々~足尾

駅前広場から駅舎。

                  なんだか雨雲が広がりそう。

山口青邨(やまぐちせいそん)の句。

昭和を代表する俳人。「夏草」を創刊し多くの句集を上梓した。青邨(本名・吉朗、1892~1988)は、明治25年(1892)に盛岡市に生まれた。大正2年に東京大学採鉱学科を卒業して、古河鉱業足尾鉱業所に入り、2年間勤務したことがある。その後、たびたび足尾を訪れ句を吟じ、次の作品などを残している。

合歓咲きて駅長室によき蔭を(昭和11年)

風花やをろがみ申す山の神(昭和18年)

青邨の作風は、清純高潔でその詩情は穏健で調和的である。  日光市

観光案内図。

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