元荒川歩き、2日目。
往復とも東武線内の乗り降りです。
北越谷駅西口。
「元荒川」土手。
前回に続き、左岸を歩くことに。
森の脇に進みます。
(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
中央に「宮内庁埼玉鴨場」。
現在、宮内庁が管理している鴨場は、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり、両鴨場のそれぞれ約12,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には、毎年2千羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。
鴨場は、鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に、天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。
埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では、野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。
我が国では、古くから網や鷹を使って鴨を捕獲していました。一方、鴨場で行われている技法は、元溜(もとだまり)と呼ばれる12,000平方メートル(約3,600坪)の池に集まった野生の鴨を訓練されたアヒルを使い引堀に誘導し、絹糸で作られた叉手網(さであみ)と呼ばれる手持ちの網を用いて鴨が飛びたつところを捕獲するものです。この技法は、江戸時代に将軍家や大名家に伝わっていたものを明治以降、皇室が継承して今日に至っています。
鴨場は、内外の賓客接遇の場としても用いており、毎年11月15日から翌年2月15日までの狩猟期間に招かれた閣僚、国会議員、最高裁判所判事や各国の外交使節団の長等がこの独特の技法で自ら鴨を捕獲します。
なお、捕獲した鴨は、国際鳥類標識調査に協力して種類、性別などを記録し、標識(足環)をつけ、すべて放鳥しています。猟期外には地元住民の施設見学会を行うなど、鴨場は市民の自然保護観察の場としても貴重なものとなっています。
(この項「宮内庁」HPより)
※明治時代になると、越谷を含む 地域が、皇室専用の御猟場として指定され た。 明治41年に、都内の浜離宮に飛来する鴨が 少なくなってきたことや、交通のアクセスも良かったことから、現在の越谷市の大林に埼玉鴨場を開設したとされている。
日光街道歩きのときにその脇を通っています。
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道なりに進むと、すぐ目の前は「元荒川」に面した「北越谷第五公園」となります。
路傍には、「道標」と二基の石塔。道標の正面には「青面金剛」、左面には「右 のしま」とあります。
この先に「宮内庁埼玉鴨場」があります。
(1880年代)まだ「鴨場」はありません。右端の道が「日光街道」。
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野球場。左手の森が「鴨場」。
土手に「ネムノキ」。
この木は?
対岸(右岸)の住宅地。
鴨場をのぞき見るところはなさそうです。竹林。
対岸・左敷田ポンプ場からの流入口(落とし)。
「梅林公園」が右手に。
梅の実がいっぱい。
橋が見えてきます。
「元荒川橋」。同名の橋がいくつかあるようです。 ※これで二つ目。