「三谷橋」から下流を望む。
※「三谷橋」という標示と「三夜橋」(バス停)とあります。別々の橋の名でしょうか?
「三谷橋」という銘板。
今回の出発地でも、「五丁台」(バス停)と少し離れたところに「五町台」という地名がありました。
鴻巣の三大名物。
①「びっくりひな祭り」
(HPより)
「鴻巣」は江戸時代から受け継がれているひな人形のふるさと。関東三大ひな市(鴻巣、岩槻、江戸日本橋十軒店)の一つに数えられ、特に着物に着付けでは関東一と評判だった、とか。江戸から明治の「鴻巣雛」には鳳凰の刺繍が施され、女雛の手を出さないものが多いようです。着物の生地は京都西陣から買い付けいていました。
明治になると「県内では越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒、に比べて、鴻巣の人形業者31軒、職人300人」という記録があるほどの活況ぶりでした。
②「川幅日本一」の標。「2537m 荒川」。
③「荒川水管橋」全長は1100 mあまりで、日本最長の水管橋として知られる。
(写真は、「荒川歩き」、「中山道歩き」のときのもの)
・・・
上流に「安養寺堰」。
「国道17号線」。東京方向。
日本橋から高崎市にかけては、五街道の一つである「中山道」になぞられる。(国道の終点は新潟市)
左に折れると、旧中山道・鴻巣宿。
中山道六十九次(木曽街道六十九次)の内、江戸・日本橋から数えて7番目の宿。
この日(10月20日)は、ちょうどお祭りの日でした。旧中山道通りは大賑わい。
「鴻(こう)神社」前。
屋台もたくさん。
《こうのとり伝説》
「こうのす」という地名は、古代に武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)である笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が現在の鴻巣市笠原のあたりに居住したとされ、また、一時この近辺に国府関連の施設があり、荒川や元荒川などを利用した水運も盛んだったと推測されることから、「国府の洲 こくふのす」が「こうのす」となり、後に「こうのとり」の伝説から「鴻巣」の字をあてるようになったと思われます。
国府のことを「こう」と呼ぶのは、他の地名(国府台[こうのだい]、国府津[こうづ]など)からも類推され、国府のお宮を国府宮(こうのみや)と呼ぶのは、愛知県稲沢市にある尾張大国霊神社、別名国府宮(こうのみや)など、全国でも例があります。
(この項「鴻神社」HPより)
※ただし、「コウノトリ」という漢字は「鸛」。「鴻」は、訓読みですと、「ひしくい」「おおとり」。この漢字は「大きい鳥」「大きい」を意味し、鳥では「オオハクチョウ」、あるいは「ヒシクイ(ガンの一種)」を指すようです。ということで、漢字からすると、「コウノトリ」を指してはいないようです。
「鴻巣駅」。
次回からも「旧中山道」がらみの歩きになりそうです。
※今日は、文化の日。晴れになる特異日。時季外れの台風も去り、東京地方は、穏やかな秋晴れの一日になりそうです。
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