おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

鳩ヶ谷宿~大門宿~岩槻宿。その5。(「日光御成道」第2日目)

2018-01-18 20:38:33 | 日光御成街道

春の訪れを期待するような桃の花?

岩槻宿への道のり。



右の道を進みます。

(14:38)その手前の草むらに道標。 
 摩滅していて判読不能。先達の記録によると、「従是南 江戸道・川口善光寺道、従是北 岩槻道・慈恩寺道、従是西 原市道」等と刻まれているそうです。 

「深作川」。この先で「綾瀬川」に合流する川。

(14:45)「国道16号線」を「新簀子橋」信号のところで横断し、その先で「綾瀬川」に架かる「大橋」を渡ります。


       「綾瀬川」。岩槻と江戸を結ぶ船運がありました。


1880年代のようす。かなり蛇行している綾瀬川。


現在のようす。河川改修によって大変化しています。中央、南北の道が「日光御成道」。

(14:48)「セブンイレブン」の先を左折して旧道へ。

 
(14:51)東武野田線の踏切を渡ります。その手前の自治町会集会所には「加倉坂下」とあります。

カーブの頂点付近。

                  

 その先、橋脚などの道路工事中のため、そのまま野田線の踏切を渡り返します。本来の旧道には行けませんでした。


                    「岩槻駅」方向。 

この道が旧道。 

(15:00)「人形のまち いわつき わらべ人形像」。




1880年代のようす。逆U字の道になっています。「新河岸」という地名に注目。「綾瀬川」の対岸の土手(自然堤防)伝い?



 現在のようす。道筋の東部分が「東武野田線」、「東北自動車道」によって寸断されています。
 逆U字型だった旧道は明治中期以降、現在のように上図の「金比羅坂」付近を直線で進むようになりました。
 なお、「わらべ人形像」は、旧道と新道との合流点、◎のところにあります。

 「人形の町」。
           ひな人形がたくさん展示されています。

 
                          「東久 人形歴史館」。
埼玉県の人形の歴史」。
 岩槻の人形の歴史は、寛永13年、伏見の人形師が日光から江戸に向かう途中、岩槻にとどまったのを始まりとする説、また 元禄年間に京の仏師が病から岩槻に定住し、人形の頭を作ったのが始まりとも伝えられています。
 いずれにしても、古くは江戸時代より、江戸に通ずる街道を往来する旅人に親しまれ、幕末の人形作りの名人によって、岩槻人形の名は全国に知られるようになりました。
 以来、埼玉県は全国でも有数な人形の産地としてさまざまな人形が作られています。土呂で作られた土雛や室町雛を改良した裃雛、やまと人形、木目込み人形など、高度な技術を する作品も数多く見られます。
 岩槻を中心に熊谷、越谷、鴻巣等、埼玉県で製造される日本人形の種類の豊富さは、他の産地では見られないことです。

 この先の通りが旧宿場の中心街になります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鳩ヶ谷宿~大門宿~岩槻宿。... | トップ | 鳩ヶ谷宿~大門宿~岩槻宿。... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日光御成街道」カテゴリの最新記事