おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

鳩ヶ谷宿~大門宿~岩槻宿。その4。(「日光御成道」第2日目)

2018-01-17 18:56:24 | 日光御成街道
                        (12:40)「東北自動車道」を越え、「鶴巻陸橋(西)」交差点を越していきます。


台地の上を進みます。

 

 お腹も空いてきたので、ラーメン屋さん「一代元」で、昼食。(13:26)再開。

緩やかな「天久保坂」。

(13:31)その先、左手には「さぎ山記念公園」。ちょっと立ち寄ります。奥には「見沼自然公園」が隣接されています。


              

「さぎ山記念公園」付近の今昔
   
   
1880年代のようす。            現在のようす。上方、大きく左に曲がる道が「日光御成道」。



                     
さぎ山記念公園
 埼玉県さいたま市緑区にある公園・緑地である。見沼代用水東縁を挟んで見沼自然公園と隣接する。
 周辺にはかつて特別天然記念物指定されていた野田のさぎ山があった。
 江戸時代以降、野田の見沼周辺の斜面の森林にサギが棲みつくようになり、野田のサギ山として知られていた。そしてサギの生息地が1938年(昭和13年)に天然記念物に指定され、1952年(昭和27年)に「野田のサギおよびその繁殖地」として特別天然記念物に指定されていた。しかし、その後サギが営巣しなくなったことから1984年(昭和59年)に指定解除された。
 このサギ山を記念し、名前が永久に残るように当時の浦和市が公園として整備することに決定し、1986年(昭和61年)5月に開園した。 公園面積は4.5ヘクタールあり、キャンプ場も整備されている。さぎ山記念館には展示室などがある。
                                        (以上、「Wikipedia」参照)
「見沼自然公園」については参照。


利根川東遷によって、水資源を失った地域にあった「ため池」(「見沼」など)の代わりに利根川から取水して農業用水とするため施工されました。

地域としては

この「見沼代用水」建設に当たっては、土木上、大変興味深い仕組みが施されていました。
伏越(ふせこし)=川底より下に木造の水路を作り、水をくぐらせて流した。

掛渡井=( かけとい )水路の上に橋を架け渡し、水を通した。

 先に進みます。
沿道にある見事な竹林。

先ほどと違って、歩道もあって心配なく歩けます。

広々とした景観。

道の奥には立派な門構えのおうち。

「光徳寺」の竹林。

(14:05)その先に「膝子一里塚」東塚が残されています。

 
・・・江戸から8里、岩槻へ1里の日光御成道上にあります(本郷追分より7里目)。当時は、道路の両側に塚を築き、塚上に榎が植えられていました。現在は、明治初年に西側が散り払われたため、東側の塚のみ残ります。この塚も道路改修などで築造当時よりも小さくなり、榎も2代目が植えられています。・・・

左手に「見沼代用水」が近づいてきます。

                  

「用水」沿いにある「筆塚」。              

    
1880年代のようす。               現在のようす。中央上方、右手の橋付近に「筆塚」。

「七里中学校」のところで県道は左に大きく曲がっていきますが、旧道はそのまま直進します。


注:「七里」の名はさっきの本郷追分から7里目の「一里塚」に由来するのかと思ったら、そうではなくて、膝子・東宮下・猿ケ谷戸・風渡・野・新堤・東門前の7ヵ村が合併してできたことを表して「七里村」と命名されたことによるようです。読み方も「ななさと」。

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