おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

巻石通り。水道町。神田上水跡をたどる。江戸川公園~小石川後楽園。その2。

2013-10-03 21:20:27 | 河川痕跡
 江戸川橋通りを越えて、いよいよ水路跡の道に入ります。
正面左の「巻石通り」。分岐点に「神田上水」跡という説明板あり。

 そこには、
 「神田上水は日本最古の都市水道」
 と記されています。

 「今昔マップ」によれば、分水地点が標高9㍍、そこから、ほとんど高低差がない崖沿いの標高7~8㍍のところを流れていき、後楽園で約4㍍、その先はぐっと低くなります。しかし、動力を使わずに一気に通水させていたわけですから、微妙な勾配を実現していたことに驚きます。実際歩いてみると、北側は坂道・台地、神田川側(南側)の方が低くなっています。
神田川側を望む。緩い下り坂になっている。
 小日向台地の南側を削って階段状にし、そこに水路を造成した、と。静岡の山間部を抜ける新東名高速のようなやり方? 
 (余談ですが、あの道路は海側に向かって傾斜がきつい丘陵地帯を切り開いたようで、高速の上を渡る一般道の橋はほとんど海側に向かってけっこう斜めに下がっている。)

 「上水道」として適度な水量と清潔さを保つためには、台地上から汚水が流れ込まない、淀まない、逆流しない、あふれない、水漏れしない、江戸川(神田川)方向に流さない、等々の工夫、頑丈な堤防、しっかりした暗渠など、相当の土木技術が要求され、またその後の地元民の苦労もたくさんあったと思われます。

途中で見かけた工事現場。関東ローム層?の赤土・粘土の地層が。関東ローム層も一段深く掘り下げれば、そこそこの強度があったという。
北側は、こうした坂道ばかり。工事現場からも分かるように、相当の高低差があります。

">(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。曲がりくねった道が「神田上水」。「後楽園」近くで再び開渠となる。カギ型に曲がる大きな流れが江戸川(現在の名称は「神田川」)。

町名も南側は「水道」。また、「水道」という名が付された施設も。一本南側の道沿いにある「水道交流館」。
中央の曲がりくねった道が「神田上水」跡。
旧町名案内。「小日向水道町」。説明の中に、「水道」と付されたのは、「神田上水」の土ざらえを定時に行うこと(「定浚―じょうざらえ―」)を命じられたもの、とある。
 神田上水に面した町方は、清潔かつよどみなく下流に流すための役目が義務づけられていたことが分かる。町名の「水道」という名にはそんな由来もあった。「旧文京区立五中(現・文京江戸川橋体育館)」付近。
心なしか少し上って曲がっていく道。
小日向台地を削って流れを築いたようだ。
振り返って来た道を望む。ほぼ平坦な道だった。
「区立水道端図書館」。

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