再び、「吾妻橋」まで戻り、西側に進みます。こちらも見所、満載です。上の写真は、西側から「吾妻橋」方向を望んだもの。
しばらくすると、線路が復活します。
振り返って望む。
工事中で、線路は撤去されるかも知れません。
その先に珍しい十字交差跡が、二箇所。その一つ、東側のもの。
これは「田浦駅」方向から進んできた線路と東西に延びる線路(さきほど探索していた線路跡)とが交わる地点になります。
港方向に進む線路は草むらの中に消えています。
道路をはさんで、すぐ西側にあるもう一つ。
地図では港方向に進む線路はかなり長く続いていて、「海上自衛隊横須賀造修補給所比与宇倉庫(米軍箱崎燃料基地)」へ向かっているようですが、この先は立ち入り禁止のため探求できず。
この二つの線路跡を振り返ると、道路の反対側(南側)にはかつての踏切の名残があります。
田浦駅方向から進んできた線路は道路の向こうで3本に分かれ、一つはさらに東の方へカーブして進み、あとは2本に分かれてそのまま港側に直進していったことが分かります。
そこで、道路を渡って廃線跡探索。「堀硝子」と「曙機械」との間の空間に当たります。
線路は左右に分かれて進む。田浦駅方向を望む。
草むらに残された線路と施設。
さきほどの交差点方向を望む。
ではここで分岐して左に行く(進行方向から見ると右に行く)線路はどうなっているでしょうか? 一部線路が残されいます。
「田浦」駅方向を望む。
道路側を望む。
右手には、かつて大きなサボテンが植わっていたようです。
「防衛施設庁」銘のコンクリート杭。
東西を結ぶ線路と「田浦」駅方向から来た線路とが一緒になる地点にはかつては「転轍機」があったようですが、今は撤去されていて、合流地点は定かではなくなっています。
東西を結ぶ線路。 左からの線路と合流する地点(道路右)。
実は線路はこの先、西にある「比与宇トンネル」の中に続いていました。この付近でスイッチバックしていたようです。今では完全に自動車、歩行者用のトンネルになっていますが、かつては線路だったようで、トンネル内で資材の積み卸し格納などが行われたいたそうです。
「比与宇トンネル」。
比与宇トンネル
比与宇トンネルは、戦前まで田浦駅(JR)構内からの軍事用引込み線のトンネルだった。周囲一帯は弾薬庫とその施設で、弾薬の積み降ろしは、このトンネル内で行われた。列車の軌道はトンネル内でスイッチバックして方向転換して長浦港倉庫街の東側に向かった。
現在、トンネル内には線路の痕跡は見当たりません。
トンネル内にあるコンクリートブロックでふさがれた半円形は、弾薬などの貯蔵施設だったと言われています。トンネル内には何カ所かこうしたところがあります。その奥には地下室が今でも存在しているのでしょうか?
トンネルを抜けても自衛隊の施設がありますが、その先は「横浜ベイスターズ球場」があります。戦後、長浦港は捕鯨船の基地としても存在していました。大洋漁業などがあって、その跡地が今はベイスターズの野球場となっているわけです。
現在の「横浜DeNAベイスターズ」の前身は「大洋漁業(まるは)」の実業団チームで、プロ球団として「大洋ホエールズ」となりました。
横須賀側出口。
この地域は、明治以来、戦前、戦中、戦後と数奇な運命をたどってきた地域です。戦争遺跡、鉄道遺跡なども豊富。じっくり探索し、近代史を知る絶好のところです。歴史的遺産として保存して欲しいし、また、解説板なども設置していただくことをぜひお願いしたい。
しばらくすると、線路が復活します。
振り返って望む。
工事中で、線路は撤去されるかも知れません。
その先に珍しい十字交差跡が、二箇所。その一つ、東側のもの。
これは「田浦駅」方向から進んできた線路と東西に延びる線路(さきほど探索していた線路跡)とが交わる地点になります。
港方向に進む線路は草むらの中に消えています。
道路をはさんで、すぐ西側にあるもう一つ。
地図では港方向に進む線路はかなり長く続いていて、「海上自衛隊横須賀造修補給所比与宇倉庫(米軍箱崎燃料基地)」へ向かっているようですが、この先は立ち入り禁止のため探求できず。
この二つの線路跡を振り返ると、道路の反対側(南側)にはかつての踏切の名残があります。
田浦駅方向から進んできた線路は道路の向こうで3本に分かれ、一つはさらに東の方へカーブして進み、あとは2本に分かれてそのまま港側に直進していったことが分かります。
そこで、道路を渡って廃線跡探索。「堀硝子」と「曙機械」との間の空間に当たります。
線路は左右に分かれて進む。田浦駅方向を望む。
草むらに残された線路と施設。
さきほどの交差点方向を望む。
ではここで分岐して左に行く(進行方向から見ると右に行く)線路はどうなっているでしょうか? 一部線路が残されいます。
「田浦」駅方向を望む。
道路側を望む。
右手には、かつて大きなサボテンが植わっていたようです。
「防衛施設庁」銘のコンクリート杭。
東西を結ぶ線路と「田浦」駅方向から来た線路とが一緒になる地点にはかつては「転轍機」があったようですが、今は撤去されていて、合流地点は定かではなくなっています。
東西を結ぶ線路。 左からの線路と合流する地点(道路右)。
実は線路はこの先、西にある「比与宇トンネル」の中に続いていました。この付近でスイッチバックしていたようです。今では完全に自動車、歩行者用のトンネルになっていますが、かつては線路だったようで、トンネル内で資材の積み卸し格納などが行われたいたそうです。
「比与宇トンネル」。
比与宇トンネル
比与宇トンネルは、戦前まで田浦駅(JR)構内からの軍事用引込み線のトンネルだった。周囲一帯は弾薬庫とその施設で、弾薬の積み降ろしは、このトンネル内で行われた。列車の軌道はトンネル内でスイッチバックして方向転換して長浦港倉庫街の東側に向かった。
現在、トンネル内には線路の痕跡は見当たりません。
トンネル内にあるコンクリートブロックでふさがれた半円形は、弾薬などの貯蔵施設だったと言われています。トンネル内には何カ所かこうしたところがあります。その奥には地下室が今でも存在しているのでしょうか?
トンネルを抜けても自衛隊の施設がありますが、その先は「横浜ベイスターズ球場」があります。戦後、長浦港は捕鯨船の基地としても存在していました。大洋漁業などがあって、その跡地が今はベイスターズの野球場となっているわけです。
現在の「横浜DeNAベイスターズ」の前身は「大洋漁業(まるは)」の実業団チームで、プロ球団として「大洋ホエールズ」となりました。
横須賀側出口。
この地域は、明治以来、戦前、戦中、戦後と数奇な運命をたどってきた地域です。戦争遺跡、鉄道遺跡なども豊富。じっくり探索し、近代史を知る絶好のところです。歴史的遺産として保存して欲しいし、また、解説板なども設置していただくことをぜひお願いしたい。
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