「海から9.75㎞」。
いよいよ「海まで10㎞」を切りました。ラストスパートです。
旧江戸川との分岐点。
右が旧江戸川。
右手奥、旧江戸川に「江戸川水閘門(江戸川水門・江戸川閘門)」があります。
この付近は、かつて陸続きでした。
1880年代のようす。行徳街道が左に。 2010年代のようす。
※旧大和田村が江戸川放水路(現江戸川)開削によって分断された。
「稲荷木(とうかぎ)」バス停。
※「稲を干す木」稲木から来ている。
「稲荷木」は木下街道歩きの際、行徳から「行徳橋」を渡って本八幡方面に向かうときに通りました。
少年野球場。
行徳橋。
行徳橋に併設されてる「行徳可動堰」が橋の左手に。
旧橋梁が残っている。
「行徳可動堰」建設に至る経緯
明治改修後、昭和10年、13年と相次いで大洪水に見舞われて、昭和14年に江戸川増補計画が策定されましたが、第二次世界大戦によりほとんど工事は進捗しないうちに終戦となりました。
そして、昭和22年9月のカスリーン台風による大洪水を契機に、昭和24年利根川改訂改修計画が策定され、江戸川では引堤が行われました。
江戸川放水路の堰地点の流下能力が不足していたため、固定堰を可動堰形式にするために、行徳可動堰の建設が行われました。行徳可動堰は昭和25年に着工され、昭和32年3月に竣工しました。その後、広域地盤沈下のため昭和50年から52年の3ヶ年にゲートの嵩上げ工事を行いました。
行徳可動堰は江戸川の最下流部に位置し、江戸川水閘門と連携して、平常時はゲートを閉めて首都圏の生活用水に海水が混入しないよう塩分遡上を防止するとともに、洪水時にはゲート操作により堰下流に洪水を安全に放流させる目的で設置した施設です。
完成後50年以上が経過した行徳可動堰は、老朽化という問題をかかえていたことから、平成22年度から5年間をかけてゲート設備の更新と堰柱の耐震補強対策を実施しました。平成26年度からは、行徳可動堰の管理橋機能を兼ねた行徳橋の架替工事を実施しています。(平成32年3月供用開始予定。)
(この項、「」HPより)
新行徳橋。
浅瀬が増えてきます。
標識を見ると、「海から3.0㎞」。
先ほどのキロ数は旧江戸川の河口までの数字だったのです。
江戸川放水路は海までは短いのですね。あと3㎞。ちょっと拍子抜けしてしまいました。
この付近では「外環道」、「京葉道路」、「湾岸線」などが交差し、物流などの施設が多くあります。
ガス管橋? 妙典地区へ。
河川敷の砂利道を歩きます。
振り返る。
葦が生い茂る。
対岸は、市川市立妙典小学校の洒落た建物。普通3学期制だが、2期制。さらに「ノーチャイム」らしい。
東京メトロ東西線。
その先に水管橋。
「海から2.0㎞」。あと30分。
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