今回は、ここからスタート。大きな案内板。「ここは白鳥の飛来地です」
現在は、もう少し荒川上流のところに「白鳥飛来地」があります。
川本白鳥の飛来地。(「Wikipedia」より)
その付近で、通りがかりの地元の方にお聞きしたら、たくさん白鳥が飛来してくるよ、見物客も大勢来る、さらにキジがけっこういて甲高い鳴き声がするよ、とのことでした。
この付近の荒川の流れ。
遠くに「植松橋」が見えてきます。
植松冠水橋(昭和30年代)。日本初のコンクリート製の冠水橋として架橋された。
この先に「水管橋」が架かっています。
左手奥に「水管橋」。
「六堰頭首工(ろくぜきとうしゅこう)」・「重忠橋」。
※「頭首工(とうしゅこう)」とは、川をせき止めて、農業用水を用水路に取り入れる施設のことをいい、用水路の一番頭(上流)の部分にあることから、このように呼ばれています。英語ではheadwork(ヘッドワーク)と書きます。頭首工は、川をせき止める堰(せき)(水門やゲートとも言う。)と取水口(しゅすいこう)から成り立っています。
街道脇に「馬頭尊」など。
「六堰頭首工」・「重忠橋」方向を望む。
「関越道・荒川橋」。
右手にこんもりした丘が。
「黒田古墳群」。かすれた「説明板」があります。
荒川に架かる「花園橋」。
「ニトリ」など街道沿いの店舗の裏手を進みます。
風情のある石畳道を下って荒川へ。
広い庭のある工場脇から。
そのまま上流へ。右手には「旭製菓 花園工場」。
右手に洒落た建物が。Layer Cafe (レイヤーカフェ)
「花園水辺公園」に向かいます。
対岸には「埼玉県立川の博物館」。ひときわ大きな水車。
「お茶々が井戸」。
この井戸は通称「於茶々が井戸」という。ここ鎌倉街道端に位置し、鎌倉時代旅の人々が休息する茶店が一軒あって、「お茶々」と呼ばれる美人の娘がいて、お茶の接待をしたので「於茶々が井戸」と言い伝えられている。しかし古文書によれば、この茶店には「ちょう」という客あしらいの上手な美しい娘がいて、街道筋で大評判となり繁盛したので、「お茶屋の井戸」と呼ばれたとの記録もある。(町田家文書)
井戸はあまり深くはないが、どんな干天でも枯渇したことがないといわれ、この水を汲みほすと雨を招くということで、干害に苦しむ年には雨乞いのために村人が総出で水を汲み出したものであったという。
この道筋が「鎌倉街道」がどうかは定かではありませんが、鎌倉時代、日蓮聖人が佐渡流罪の際に通ったという言い伝えがあるようです。
荒川を望む。
「彩甲斐街道(国道140号線)」に出ます。
この先に「玉淀大橋」。
下流方向。キャンプ場が。
上流方向。
この先、左に折れて「寄居駅」に向かいます。
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