最近、曳舟川通り沿いにある、「セトル中之郷」が、1926(大正15)年8月、関東大震災の復興事業として同潤会が建てた初の公営鉄筋アパート・「中ノ郷アパート」であることを知りました。
そういえば、20年ほど前までは赤茶けて、1階には間仕切りされた小さな商店が並び、上はアパートだった建物の前をよく通ったことを思い出しました。
そこにあった、印鑑屋で印鑑を買ったこともありました。たしか時計屋さんもあったような気がします。それがいつしか取り壊しになって、こぎれいな建物になりました。
同潤会のアパートは、この中ノ郷アパートメントを皮切りに、青山、柳島、代官山、清砂通り(当初は、東大工町)、山下町、平沼町、三田、三ノ輪、鶯谷、上野下、虎ノ門、大塚女子、東町、そして1934年(昭和9)年竣工の江戸川アパートメントまで、東京・横浜の計15カ所に建設されたそうです。
同潤会とは、1924年(大正13)年、被災者への住宅、および必要な施設の供給を目的として、国内外から寄せられた義捐金一千万円を元にして、前年に起きた関東大震災後の住宅復興を目的に設立された財団法人。
関東大震災当時、東京の住宅のほとんどが木造であり、さらに密集していたという条件が重なって、被害が拡大しました。これを教訓にして、同潤会の建てた集合住宅は、耐震・耐火構造を備えた鉄筋コンクリート造りです。
そのすべてが戦災を乗り越えて終戦を迎えます。「中ノ郷」アパートも、建設当時の姿の、無骨ともいえるような姿で、そのまま残っていたわけです。
また、三ツ目通り(言問橋東詰めで水戸街道から分岐し、南行する道路)を南下すると、清洲橋通りとの交差点の角に建っていたのが、清砂通アパート。円形の外壁に特徴があって、車で通るたびに気になりましたが、ここも同潤会アパートだった。ここは、全部で16棟・663戸もあり、同潤会アパートでは、最大規模だったようです。
これら同潤会アパート群も、時代の流れについていけず、多くが解体され、新しい建物に変わっています。
2006(平成18)年、表参道にあった、青山アパートは、「表参道ヒルズ」という「モダン」な建物になりました。
清砂通アパートメントも、2005(平成17)年、「 イーストコモンズ清澄白河」やその他のしゃれたネーミングの多目的な高層建築となりました。
時々、本を借りに行く「横川橋コミュニティセンター」の表通りに面した、高層マンションも、「同潤会柳島アパート」が建て替えられたものです。ここも、かつては、中ノ郷と同じような造りの建物でした。
「青山」や「清砂通り」の取り壊し、建て替えの時には、保存をめぐってマスコミの話題にもなりましたが、この二つはその時はどうだったのでしょうか。
写真は、1990(平成2)年、「セトル中之郷」として新築されたマンションの正面付近。印鑑屋さんなども、まだ健在でした。
そういえば、20年ほど前までは赤茶けて、1階には間仕切りされた小さな商店が並び、上はアパートだった建物の前をよく通ったことを思い出しました。
そこにあった、印鑑屋で印鑑を買ったこともありました。たしか時計屋さんもあったような気がします。それがいつしか取り壊しになって、こぎれいな建物になりました。
同潤会のアパートは、この中ノ郷アパートメントを皮切りに、青山、柳島、代官山、清砂通り(当初は、東大工町)、山下町、平沼町、三田、三ノ輪、鶯谷、上野下、虎ノ門、大塚女子、東町、そして1934年(昭和9)年竣工の江戸川アパートメントまで、東京・横浜の計15カ所に建設されたそうです。
同潤会とは、1924年(大正13)年、被災者への住宅、および必要な施設の供給を目的として、国内外から寄せられた義捐金一千万円を元にして、前年に起きた関東大震災後の住宅復興を目的に設立された財団法人。
関東大震災当時、東京の住宅のほとんどが木造であり、さらに密集していたという条件が重なって、被害が拡大しました。これを教訓にして、同潤会の建てた集合住宅は、耐震・耐火構造を備えた鉄筋コンクリート造りです。
そのすべてが戦災を乗り越えて終戦を迎えます。「中ノ郷」アパートも、建設当時の姿の、無骨ともいえるような姿で、そのまま残っていたわけです。
また、三ツ目通り(言問橋東詰めで水戸街道から分岐し、南行する道路)を南下すると、清洲橋通りとの交差点の角に建っていたのが、清砂通アパート。円形の外壁に特徴があって、車で通るたびに気になりましたが、ここも同潤会アパートだった。ここは、全部で16棟・663戸もあり、同潤会アパートでは、最大規模だったようです。
これら同潤会アパート群も、時代の流れについていけず、多くが解体され、新しい建物に変わっています。
2006(平成18)年、表参道にあった、青山アパートは、「表参道ヒルズ」という「モダン」な建物になりました。
清砂通アパートメントも、2005(平成17)年、「 イーストコモンズ清澄白河」やその他のしゃれたネーミングの多目的な高層建築となりました。
時々、本を借りに行く「横川橋コミュニティセンター」の表通りに面した、高層マンションも、「同潤会柳島アパート」が建て替えられたものです。ここも、かつては、中ノ郷と同じような造りの建物でした。
「青山」や「清砂通り」の取り壊し、建て替えの時には、保存をめぐってマスコミの話題にもなりましたが、この二つはその時はどうだったのでしょうか。
写真は、1990(平成2)年、「セトル中之郷」として新築されたマンションの正面付近。印鑑屋さんなども、まだ健在でした。
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