よっこらしょ! お疲れ様でした。
腰の方は何とか落ち着いたわよ。病気の方も・・・。どうした、どうしたっていちいち聞かないでくれる。
もうあっという間に年の瀬。一年経つのが早すぎるわ。
そうね、ランチとしては今ひとつだったわね。ビュー代ということかしら。
スカイツリーまでよく見えるし、新宿駅が目の下。御苑も手に取るようなところに。トイレからの展望が格段だったって、そうなんだ。
あそこ。「小田急サザンセンチュリータワー」とかいうのよ、知らなかった? 20階から上がホテルになっているのよね。素敵な方とお泊りになったらいかが?
そうそう。この間お貸しした本の感想を聞かせてほしいわ。
なんでも河出書房の「文藝賞」というの、それを史上最年長で受賞した作品だそうだけど。
ほら、宮沢賢治の有名な詩「永訣の朝」のトシ子さんの「Ora Orade Shitori egumo」を表題にしているのよね。
ローマ字表記の音では「しとり」を「ひとり」、「えぐも」を「いぐも」と言い換えてあるのは、作者のそこには深い思い入れがあると思うのよ。
賢治さんのよき理解者であった妹のトシ子さんの今わの際の言葉として受け止めるのではなくて、もちろん、本当にそう言ったかどうかは問題じゃないわ。
主人公の桃子さんにとっては、確実に迫った「死出の旅路」を免れることはできないけれど、お迎えの、その日まで「一人で生きていく」決意が含まれているよね。
一方で、「Ora Orade(おらおらで)」をそのまま用いているところに作者の、桃子さんへの深い思いが表現されているわよね。
「おら」、対する「わたし」という言葉への複雑な、屈折した思いが主人公・桃子さんにも、いや作者自身にも、否応なしにあることが随所にうかがわれる。
それが、物語の通奏低音としてしっかり位置づけられているのよね。
それにしても、賢治の「虔十公園林」に登場する主人公・虔十(純粋な心の持ち主。でも、近所の子どもらにばかにされて笑われる存在)の、
雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。
をしっかり引用してくるところなんかは、宮沢賢治が「心象スケッチ」と称した詩(ことば)づくり、紡ぎ方にも擬えているよね。
故郷の「八角山」を結びつきのきっかけとして、そんな宝石のような物語の主人公と結婚し、二人の子どもを育てあげる、しかし、しだいに疎遠になっていく肉親関係。特に30年以上寄り添った夫の突然の死。
そして、今、一人住まいをする74歳の女性「桃子」。・・・
「八角山」なんて山名じゃなくて小説ならもっとしゃれた名前にすると思うけれど、名実ともに凡庸な山だからこそ、桃子さんのかけがえのない、心のよりどころになっているのよね。
「八海山」だと山の名前というより、お酒の銘柄になってしまうけど。
幾重にも死者たちの声が桃子さんの耳に眼に伝わってくる、そう、宮沢賢治のあの独創的なオノマトペを彷彿される幻想・幻聴シーンなんかは、桃子さんの思いに感情移入されられてしまうわね。
すでに夫も含め、肉親たちの亡者の仲間入りになった者同士の語りかけ、と一体化する桃子さん。
桃子さんがソーダ水をストローでかき混ぜながら、
嘆きの渦最高潮に達し、柔毛突起ども皆立ち上がり天にも届けとばかりにおめき叫べども、誰かのしわぶき、あきらめのため息をきっかけにしだいに勢い衰え、音なり静かになる。
それとともに一斉にうごめき揺れていた柔毛突起どもの渦、しだいに右に左に揺れ別れ、三つの大きな円になって鎮まり治まる。
という表現なんか面白いわよね。
他者と微妙に関わりながら、それでいて振り回されず、自らの喜怒哀楽を大事にお迎えが来るその日まで、日々を暮らしていくのよね。
孫の存在が桃子さんにとっても、読者にとっても救いとなり、ラストの「希望」につながっていくわね。
(一人で訪ねてきた孫のさやかに人形に「新しい服を作ってやるべが」と、)
「さやちゃん、端切れが入っているから、二階の箪笥の上の黄色い箱取ってきてくれるが」
言うより早くさやかは駆け出していく。階段を踏みしめる軽やかな足音が耳に心地いい。
「おばあちゃん、窓開けるね」
「あ」
「おばあちゃん、来て来て早く」
「はあい」
桃子さんは笑ったままゆっくりと立ち上がった。
「今、行くがらまってでけで」
「春の匂いだよ。早くってば」
故郷の八角山への想いの中で、都会の片隅での晩年の一人住まい・・・、「癒やし」のお話になっているわ。このお話、私なんかすごく同化しちゃうわ。
ところで、あなたにとっての「八角山」というような存在って何?
ちょっと、もう。話を聞いてくれていたの、まったく。
今日は、ここまでよ。あとは、またこの次。
ではよいお年を! じゃあね。
そうそう、若竹さんには悪いけど、「虔十公園林」のラストを引用するわね。もしかしたら桃子さん愛用の「46億年ノート」にも通じるものがあるかも。
(周囲が開発されていっても、虔十が植えた杉林は隣の小学校の子供たちの公園となっていました。そして、「虔十公園林」と名付けて保存されることになります。)
全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂ひ、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
そして林は虔十が居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては新しい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。
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