「馬車道」といえば、なんと言っても横浜が有名。今でもハイカラな雰囲気がする通りです。
実は、墨田区・両国駅の南を少し行ったところに、「馬車通り」というのがあります。この通りは、隅田川から錦糸町まで、東西に続く直線の道路。道沿いには、中小の問屋が軒を連ねています。また、マンションも。街路灯も途中までは少ししゃれた感じで、横浜の本家を意識して、ガス灯をイメージしたものでしょうか。
この近辺、墨田区は、錦糸町駅の北口から江戸博までの通りを「北斎通り」と名付けています。地元の葛飾北斎にちなんだ名称です。ここは、北斎に関するイベントなどがあります。また、通り沿いに記念館を造る計画もあるようです。
しかし、この「馬車通り」の名称の根拠は何でしょうか? 墨田区の公式HPをいくら探してもよく分かりませんでした。ただ、もっと東に進むと、横十間川で少し迂回しますが、その先は、明治通りの五の橋のところから東は、旧千葉街道となりますので、そこに何らかの根拠、つまり旧道だったということでしょうか。
実際、この道に馬車が行き交いしたとは、思えないのですが。どなたかご存じの方は、ぜひ教えて下さい。
実は、墨田区・両国駅の南を少し行ったところに、「馬車通り」というのがあります。この通りは、隅田川から錦糸町まで、東西に続く直線の道路。道沿いには、中小の問屋が軒を連ねています。また、マンションも。街路灯も途中までは少ししゃれた感じで、横浜の本家を意識して、ガス灯をイメージしたものでしょうか。
この近辺、墨田区は、錦糸町駅の北口から江戸博までの通りを「北斎通り」と名付けています。地元の葛飾北斎にちなんだ名称です。ここは、北斎に関するイベントなどがあります。また、通り沿いに記念館を造る計画もあるようです。
しかし、この「馬車通り」の名称の根拠は何でしょうか? 墨田区の公式HPをいくら探してもよく分かりませんでした。ただ、もっと東に進むと、横十間川で少し迂回しますが、その先は、明治通りの五の橋のところから東は、旧千葉街道となりますので、そこに何らかの根拠、つまり旧道だったということでしょうか。
実際、この道に馬車が行き交いしたとは、思えないのですが。どなたかご存じの方は、ぜひ教えて下さい。
ただ明治期、品川軒・旭軒といった両国橋より千葉・成田・芝山への馬車があったのは事実であります。(※)
明治前期の地図を見ると、五の橋(旧千葉街道)までの道は、この道の他にもう一本川沿いの道もあるので、どちらの道を通ったのか、わかりません。
どんな経緯で「馬車通り」と名づけられたのかは私も気になりますが、知りません。
(※)
朝野新聞 明19・6・10(4)の他、
中外郵便週報 明14・12・5(4)
読売新聞 明17・12・12(3)
東海新報 明21・7・15(4)
房総新聞 明21・11・22 などを参照。
墨田区は、スカイツリーの建設をきっかけに新旧入り交じった新しい町づくり、イベントをやりつつあります。北斎にちなんだ記念館も建設中です。両国駅近くにある墨田区立緑図書館でも展示や講演など企画も・・・。もう少し暖かくなったらそうしたものにも出かけようかと思っています。