おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その1。引地川。「厚木基地」。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

2025-02-25 21:02:10 | 中原街道

今回からは、小田急江ノ島線・桜ケ丘駅からJR相模線・寒川駅まで。

2月23日(日)。晴れ。

駅前案内図。上は南方向。

       ※駅構内の案内図は、えてして上が北ではない場合が多い。下車した客の目線に合わせたものか?

「中原街道」に復帰。右に進みます。

踏切を越えた左手に、

解説板。「桜株十一面観世音菩薩の由来」。

此の尊像は昭和11年10月23日瀬谷村の秋の祭りと大和村小学校の運動会の見学の帰りに当時、もの珍しいオート三輪車にて、13名の者が同乗して、小田急桜株一号踏切にさしかかる折から驀進して来たりし江ノ島行きの電車に接触し大音響とともに三輪車もろとも11名即死、2名が重症という大惨事をまきおこし、これを契機に部落の先輩諸志が、交通事故防止を呼びかけ、設立運動をおこし翌昭和12年有志の善意が高まり、浄財のご喜捨により、当時綾瀬村報恩寺の住職の御懇篤なるご教導を仰いで、11名の尊きご魂のご冥福をを祈るために十一面観音菩薩が踏切わきのこの地に安置され、そして二度とこのような事故をおこさぬよう、永遠に交通安全を願い菩薩のご加護を祈願し慈に尊像を設立致しました。桜ヶ丘自治会

※「桜株」は「桜ヶ丘」の旧地名。

 「新道下大橋」。

「引地川」。

読み方・振り仮名は行政上は「ひきじがわ」で統一されたが、「ひきちがわ」「ひきぢがわ」などもある。河口はシラスウナギの捕獲で有名である。

河川名の由来には諸説があるが、台地からの出口に当たる藤沢市稲荷付近で、砂丘を断ち切って河道を付け替えたことによるという説が有力である。かつては場所により長後川、大庭川、清水川、堀川などの名称で呼ばれていた。

湘南砂丘地帯に出てからは、かつては自由蛇行を繰り返し、大水の度に河道がつけ変わっていた。昭和初期に神奈川県の手で河川改修が行われ、現在の河道に固定された。相模湾東部の沿岸流は東流するため、河口は東に移動しがちで、江戸時代の絵図には境川下流部に合流するものも見られる。(「Wikipedia」より)

現中原街道は、大きく左に曲がる。

が、旧道は右に進んでいきます。

右手に厚木基地のフェンスが続きます。

厚木海軍飛行場。

神奈川県綾瀬市大和市にまたがる軍用飛行場で、アメリカ海軍海上自衛隊が共同で使用している軍事基地。県内で唯一、固定翼ジェット機が離着陸できる航空施設である。航空管制は海上自衛隊が行なっている。

アメリカ海軍は空母ロナルド・レーガン(USS Ronald Reagan, CVN-76)艦載機の第5空母航空団(CVW-5)の本拠地として使用しており、海上自衛隊は第4航空群、実験航空部隊の第51航空隊、輸送航空部隊の第61航空隊の航空基地として使用している。

通称は厚木基地厚木飛行場。海上自衛隊の基地としては厚木航空基地、在日米軍施設としては厚木海軍飛行場と呼ばれる。米軍内における名称はNaval Air Facility Atsugi米海軍厚木航空施設)である。

1945年(昭和20年)8月30日ダグラス・マッカーサー連合軍総司令官の乗った輸送機「バターン号」が厚木飛行場に着陸。「メルボルンから東京へ、長い道のりだった」と第一声を放った。このとき、彼が細いコーンパイプを咥えてタラップを降りる写真(『ライフ』カメラマンのカール・マイダンス撮影)が現存し、日本の敗戦や連合国による占領時代を象徴する1枚としてしばしば用いられる。

総面積約506.9 haのうち、約395 ha(全体の約78 %)が綾瀬市で、残りが大和市である。

(「」より)

※厚木基地は綾瀬市と大和市にまたがって所在しており、厚木市にはない。なぜ厚木基地という名称なのか、由来については諸説あるが、いずれも確証がない。

上記の写真でも分かるように、市街地に囲まれている。騒音訴訟が5次にわたって行われ、さくねん11月20日に第5次訴訟の地裁判決が出ました。

・・・

 「とんでもない不当判決だ」。第5次厚木基地騒音訴訟で、横浜地裁は20日、過去分の騒音被害に対する損害賠償のみを認めた。閉廷後、弁護士らが「差し止め認めず」などと書かれた紙を掲げると、地裁前で待ち構えていた原告団からは怒号が上がった。

自衛隊機差し止め認めず 過去被害に59億円賠償命令―第5次厚木基地騒音訴訟・横浜地裁

 午後2時半からの判決言い渡しは、裁判長が主文を読み上げただけで閉廷。傍聴していた原告らも裁判所前で合流し、約100人が怒りや不満をあらわにした。

 原告団副団長の高久保さん(80)は、「第4次訴訟の地裁判決では飛行差し止めを認めたのに、今回は認めず怒りを感じている。裁判所は爆音被害者のことをまったく考えていない」と憤った。

 原告団はその後、横浜市内で報告集会を開催。福田護弁護団長は「(第4次訴訟の)最高裁判決をただ引用するだけで、(われわれの主張に)耳を傾けようとする姿勢がない判決だった」と批判した。一方、認められた賠償額については「基準額は過去最高の水準だった」と評価した。

 原告団長で神奈川県大和市議の大波修二さん(78)が「控訴したい」と宣言すると、会場からは拍手が湧き起こった。

(「時事ドットコムニュース」HPより)

フェンス沿いの直線道路を進む。 

日曜日のせいか、飛行機の騒音は聞こえなかった。

※本来の旧道は基地内にあったか?

この付近の今昔。

                             (現在)黄色の線が現中原街道。

                             (1880年代)現基地内を直線で進んでいた。

       左手には「富士山」。

振り返る。

「代官3丁目」バス停。


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