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「葉梨川」を渡ってすぐに右に曲がります。ここは、「御成街道」。
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通りの右手にあった道標。かなり土に埋もれてしまっています。「東海(道)」「御成街(道)」としか読み取れず。
しばらく道なりに進みます。
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左手にモニュメント風の火の見やぐらと常夜燈があり、説明碑が設置されたところへさしかかります。
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東海道・鬼島の建場
街道の松、枝を鳴らさず、往来の旅人、互いに道をゆずり合い、泰平をうたふ。
大井川の川留めが解けたので、岡部に滞留せし旅人・駕篭・馬と共に弥次郎兵衛、喜多八の両人も、そこそこに支度して、朝比奈川をうち越え、八幡・鬼島に至る。
ここは宿場間のお休み処。茶屋女「お茶まいるサア・お休みなさいマシ」と進められるまま、昼間ッからイッパイ昨日の鮪の肴、この酒半分水だペッペツ、ブツブツいいながら、鐙ヶ淵にさしかかる。「処もとは鞍の鐙ケ淵、踏んまたがりて通られもせず」「街道の松の木の間に見えたるはこれむらさきの藤枝の宿」
十返舎一九 東海道中膝栗毛
注:「建場(たてば)」は一般的には「立場」と書き、幕府公認の宿場と宿場の間の休憩施設・「お休み処」があったところ。発展すると「間の宿(あいのしゅく)」となることも。
かなり離れた「大井川」が「川留め」になると、その手前にある島田宿が満員に、さらに藤枝宿も。こうなると、岡部宿から先には進めなくなる場合もあるようです。弥次さん、喜多さんもそのあおりで、「岡部宿」に滞留したと思われます。
また、「鐙ヶ淵」とあるのは、大楠(クスの巨木)のある「須賀神社」、「全居寺」(「鐙ヶ淵の観音堂」がある)一帯は、もともと「元葉梨川」の淵になっていたところで、その形が馬具の鐙に似ていたことから鐙ヶ淵と呼ばれていたようです。
さらに、「街道の松の木の間」と表現していますが、現在は数本残すのみとなってしまいました。「藤枝宿」は、その先にあたります。
さて、行く手の道路は広くなっています。その右手に「大楠」。このクスは、樹齢おおよそ500年で、静岡県下でも有数の大きさを誇っています。このあたり一帯が「鐙ヶ淵」となります。
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「大楠」。 振り返って望む。左手一帯が「鐙ヶ淵」。
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このあたり(「水守」地区)は、土地整備計画で大きく変わっています。「松並木」の道(「東海道」)も工事中。南側には大きなホームセンターやお店が出来て、周囲の道も広くなって東海道の痕跡は、この松並木のみ。保存するようですが。
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「しずてつストア」脇の道が「東海道」。 ぽつんと「東海道」の標識があります。
「旧東海道」は、そのまま広い「国道1号線」を斜めに突っ切る道ですが、あいにく道路を斜めに渡るような状況ではありません。
そこで、「水守」交差点を渡ってから少し左に進み、右に折れて「旧東海道」を進みます。ちょっと分かりにくいところです。
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通りの向かい側にも「道標」。
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いよいよ「藤枝宿」の中心部へ。
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現在の「藤枝宿」は、ほぼ直線の道沿いの商店街になっています。
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昔ながらの商家の趣。「桜えび」の張り紙あり。
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藤枝といえば、今は、サッカー。
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奥の店の看板に「藤枝名物サッカー最中」。 こちらは、「藤枝名物サッカーエース最中」。
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この絵図からみると、先ほどの左車神社前の標識は「東木戸跡」だったのかもしれません。こうした絵図が行き先々にあるので、便利です。
右手にある病院の敷地に「藤枝静男」生誕の地」碑。
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藤枝静男は、日本の作家、眼科医。本名勝見次郎。本人の言の通り、簡潔で硬質な力強い文体と自他を隔てず冷徹な観察眼において志賀直哉の影響を受けており、「心境小説」を幻想に推し進め、私小説の形をとりながら虚実のあわいに遊ぶような作品が多い。 (「Wikipedia」より)
同じく藤枝出身の小川国夫の作品はけっこう読んでいますが、この方のはいままで接したことがありません(読んだ記憶があいまい)。
実は、小川国夫の生地であるということで、「藤枝」には興味がありました。が、「東海道」を歩いているだけの「通りすがり」には、小川国夫の痕跡を知ることはできませんでした。
藤枝生まれ、藤枝育ちで、自らを「枝っ子」(えだっこ)と呼んだ小川国夫は、平成20年4月8日、80歳の生涯を閉じるまで、ふるさと藤枝で執筆活動を続けました。
帰りの東海道線で「用宗」駅を過ぎたときに、ふと小川国夫のことを連想しましたが。
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平日の午後のせいか、人通りも少なく、閉まっている店も目立ちました。
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