おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小湊鐵道・いすみ鉄道(「五井駅」~「大原駅」)。その1。「電鉄」の「鉄」は「鐵」。乗り換え時間が! 女性の車掌さんは大忙し。市原市を通る「小湊鐡道」。(関東ローカル私鉄の旅。その1。)

2023-07-24 20:38:50 | ローカル鉄道の旅

暑い夏。歩くのはやめて、関東エリアのローカル私鉄に乗る旅を計画。

7.上毛電鉄
8.わたらせ渓谷鉄道
9.真岡鉄道
10.ひたちなか臨海鉄道
11.関東鉄道
12.鹿島りんかい鉄道
13.富士山麓電鉄(富士急線)
 
などが現役でがんばっています。
 
※「電鉄」の「鉄」は「金を失う」から、「」にしている鉄道会社もあります。
 
「江ノ電」や「流鉄流山線」「箱根登山鉄道」「銚子電鉄」は乗ったことがありますので、省略。
 
はたしていくつ乗れるか? 
 
今回。小湊鐵道は終点の一つ手前「養老渓谷駅」までは乗ったことがありますが、その先、接続する「いすみ鐵道」は乗ったことがありません。
 
というわけで。
 
7月22日(土)晴れ。
 
JR内房線「五井駅」で「小湊鐵道」に乗り換え、出発です。
 
土曜日のため、けっこう大勢の方が乗り換える様子。
 
「小湊鐵道」「いすみ鐵道」は、スイカやパスモなどが使えません。
 
乗り換え口でたくさんの人が券売機や窓口で切符を買うため、長蛇の列。発車時刻まで6分しかありません。
 
これじゃあ乗れないか! 発車ベルが鳴り響いてきましたが、まだ何人もの人。
 
すると、駅員さんが車内でも切符を買えるので、乗る人は乗って下さい、と。
 
購入途中の人を尻目に、階段を駆け下り、飛び乗りました。ホッと一息。何とかならないものですかね。
 
思ったより車内は混雑していません。
 
女性の車掌さん。さっそく切符を売りに来ました。汗を掻き掻き、一人ひとりに。
 
ドアの開閉や無人駅での切符の回収など行ったり来たり、大奮闘ぶり。
 
たしかに切符を買わずに大勢の人が乗っては、一人じゃ、どうにもなりそうにありませんでした。
 
というわけで、スタート。
 
                      「五井」を出て、最初の駅「上総村上」。
 
素朴な駅舎。
 
終点「上総中野」までの案内図。
 
                                  (「ジョルダン」より)
 
 
                           (「小湊鐵道」HPより)
※「小湊鐵道」概要

 非電化・単線の路線で、首都圏にありながら駅舎や車両など古くからの雰囲気を残している。2018年には「小湊鉄道とその沿線の景観」が千葉県により、ちば文化遺産の一つ(広域)に選定された。
 1990年代後半からの10年間で乗客が急減した。2000年代では、多少減少幅が緩やかになったが、やはり乗客は減少傾向にある。
 駅係員の合理化が進む一方で車掌は全列車に乗務しており、無人駅では各駅ごとに検札・集札を行い、無人駅から乗車券を持たずに乗車した旅客には車内で切符(パンチ式車内補充券)を発売する。
 養老渓谷駅 - 上総中野駅間の板谷隧道(トンネル)は千葉県内の鉄道の最高地点になっている。
 女性を積極的に採用しており、車内で精算業務を行う若い女性の車掌が10名弱勤務しているほか、一部の駅では女性係員が勤務している。2007年には女性運転士も誕生した。
 いすみ鉄道いすみ線との乗り換え駅である上総中野駅では、両線の線路が繋がっているが、相互乗り入れの話が出ても、旅客流動上も相互乗り入れのメリットは極めて薄いとされており、両社共に消極的で、路線との乗継割引、直通運転はしていない。
 交通系ICカードは導入されておらず、導入予定もない。

路線データ
管轄(事業種別):小湊鐡道(第一種鉄道事業者)

路線距離(営業キロ):39.1km
軌間:1067mm
駅数:18駅(起終点駅含む)
複線区間:全線単線
電化区間:全線非電化
車両基地:五井機関区

歴史
 当初は安房郡小湊町(現在の鴨川市の一部)を目指して着工された。工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊の鉄道敷設訓練の一環としての性格もあった。
1917年(大正6年)に会社を設立したが建設資金調達に苦心し、伝を頼り安田善次郎に出資を依頼するため陳情団が東京を訪れる。安田は利益を上げる見込みのないローカル線への出資を承諾し、1924年(大正13年)には安田財閥の持株比率が6割を超える。安田財閥の資金を元に、同年ボールドウィン社より蒸気機関車を2台(1号・2号)を購入、このとき購入した機関車は、1号車(拓本番号57776)、2号車(拓本番号57777)ともに小湊鉄道五井駅に保存、展示されている。
 1925年(大正14年)3月7日に五井駅 - 里見駅間で開業。1926年(大正15年)9月1日に里見駅 - 月崎駅間、1928年(昭和3年)5月16日に上総中野駅までの全線が開通した。
 上総中野駅から先の延伸工事、並びに終点として想定されていた小湊駅(現在の安房小湊駅付近に設置される予定だった)近辺の工事も一部着手されていたが、資金難のため1929年(昭和4年)5月頃に中止された。資金面の問題に加え、昭和初期の土木技術では延伸区間の清澄山付近で難工事が予想されたこと、加えて1934年(昭和9年)に上総中野駅まで延伸した国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)と接続して房総半島の横断ができるようになったことから、最終的に延伸は断念された。
 太平洋戦争下の1942年(昭和17年)12月、本鉄道は京成電気軌道系列の企業となる。『京成電鉄五十五年史』には、本鉄道が京成電気軌道系列に入ってきた、とされているが、『安田保善社とその関係事業史』では、当局の要請により仕方なく営業譲渡した、とされている。
・・・
(以上、「Wikipedia」参照。)

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