橋には緋毛氈が敷かれ、対岸には的が設置されています。さて? そのうち、高校の弓道部の生徒でしょうか、4人の男女。リハーサルのため、舞台に登場、向こう岸の的に向かって矢を射るようす。見ていると、見事に真ん中に命中する生徒も。
なかなか見事な腕前を披露。
次に登場したのは、「笹子追分人形芝居」のリハーサル。
なかなか息の合った人形遣い。国立劇場の文楽とは当然、大違いですが、それでも先日の人形浄瑠璃の感動が蘇ってきます。
そのうち、地元の方々が集まってきます。
「第16回さるはし観月の会」。
・紅富士太鼓
・絵本と演奏
・リコーダー演奏
・笹子追分人形芝居
・俳句表彰式
など盛りだくさんのイベント。
中でも、「笹子追分人形芝居」。ついこの間、文楽を観たばかりなので興味津々。
隣では紫陽花の鉢の無料配布。聞いたら地元の方で1年間世話をして来年の紫陽花祭に持ってくるということ。残念ながら地元の方以外はダメ! でした。
「猿橋」は安藤(歌川)広重の浮世絵でも有名です。
甲陽猿橋之図 上下
The Monkey Bridge in Kai Province
詳細情報
作者歌川(安藤)広重 作者英名hiroshige 画題甲陽猿橋之図 掛物絵判錦絵 寸法72.8×25.0 署名広重筆 一立斎
(「慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション」dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/ukiyoe/0424 HPより)
今回のイベントはそれにもあやかっているようです。4時から開始ということなので、大月駅まで歩くのはやめにして、ビールと地酒を飲みながら小一時間、待つことにします。
さて、待望の4時。大月市長の挨拶があって、開会。
最初に橋の上で披露された「紅富士太鼓」。西(上流)に向かって豪快で巧みな太鼓の合奏。世界一大きな太鼓だそうです。たたき手も若者が目立ちます。
幼稚園の先生による絵本の読み聞かせ、リコーダーの演奏と続きます。
さて、「笹子追分人形芝居」。
「追分人形式三番叟」。
この間「国立劇場」で観た文楽と同じ、三人がかりで人形を操ります。少々小ぶりな人形に素朴な衣装を身につけ、テープの義太夫節に合わせて動作をします。中央の人は高下駄状の履き物をはいています。素朴な中に地域の伝統芸能を観させてもらった感じです。歌舞伎でも全国のあちこちに、地域歌舞伎が残されていますが、江戸時代の伝統芸能の伝播、そして地域ごとの上上演、継承、保存というものの熱意・重さ強く感じました。
次々回くらいに「笹子峠」を越える時、その手前で、発祥の碑を見ることができそうです。
笹子追分人形芝居 (「パンフレット」より)
むかし、甲州街道で最大の難所にあたった麓の笹子村は、旅人が草鞋を脱ぎ、ひと息つく宿場にあたりました。
笹子村の先人たちは山仕事のかたわら、淡路、江戸伝来の人形芝居を習得し、明日は峠に向かう客人をもてなしました。
そのころ峠はより高く、谷は深く、緑は鬱蒼と濃く感じられたことでしょう。山と川とともにあった厳しい暮らしを、助けあい支えあったふるさとの、灯火のような人形芝居でした。
以来、約300年、時の流れに翻弄されながら、人形は土地の絆に守られ、連綿とつながるふるさとの歴史を今も舞いつづけています。
ひとえに、峠のあったおかげです。
・・・近年には、座員の高齢化という苦境のなか、前会長・天野宇吉氏らの尽力によりなんとか守られてきた活動も、平成6年ついに途絶えることとなりました。 復活の幕があいたのは、平成16年。大月市制50周年での10分間の上演がきっかけでした。古老たちの想いを受けた有志が集い、翌年から活動を再開。ほとんどの座員が未経験からのスタートでした。
最盛期に県内各地に広まっていた人形芝居も今や追分人形が残るのみです。
上演演目
・吉窪美人鏡
・本朝二十四孝
・傾城阿波の鳴門
・伊達娘恋緋鹿子
・奥州安達原
など
(17:21)イベントはまだまだ続くようでしたが、席を立ち、駅方向へ。浴衣姿のこどもたちが続々集まってきます。
(17:26)「猿橋宿」にはこれといった史跡は見当たりません。
さっき演奏していた「紅富士太鼓」トラック。猿橋上での演奏はなかなか迫力がありました。
(17:38)「殿上下宿(とのえしもしゅく)」バス停。
街道を西に進みます。「猿橋宿」を抜けたところにJRの駅があります。
今回はここまで。ここを左に曲がれば「猿橋」駅。(17:45)
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