おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武伊勢崎線「川俣」駅~東武佐野線「佐野」駅。その1。(「日光千人同心街道」第6日目)

2018-12-17 21:20:27 | 日光千人同心街道
                       
 「日光千人同心街道」歩きも最終回。正味5日半。
 健脚なら3日半くらいで、歩き通せる行程。

 街道の名称もずばり「日光街道」から「日光脇街道」。今や「日光脇往還」となって、「八王子千人同心街道」という名称はあまりみかけなくなった街道。
 もともと「千人同心街道」、「日光火之番街道」、「八王子千人同心街道」、「日光脇街道」、「日光脇往還」、「日光裏街道」などとあったようですが。
 JR中央線「西八王子」駅からはたしかに遠ざかりました。東京→埼玉→群馬と歩いてきて、最終地は栃木と歩いてきたわけです。旧国名では武蔵→上野→下野。

(9:22)前回の地点から再開。

(9:28)しばらく進むと、左手、一本松の根元に「富士山供養」塔。
 
 この供養塔は、富士参拝に向かう老人がこの地で力尽き、田の水面に映る富士を見て息絶えたのを、村人が弔ったものと伝えられているようです。

 そういえば、吹上駅からの歩きで、国道17号線バイパス「前谷歩道橋」下で振り返ると、屋根の向こうに真っ白な富士山が意外に大きく見えました。 昔は、この辺りからでもおそらく見えたにちがいありません。今は高いところからでしか見えないでしょうが。
  
のどかな道を進みます。

                      落ち葉が敷き詰められた路地。

集落を抜けると周囲はすっかり冬模様の田畑。

「矢島」交差点で「国道122号線」に合流します。
        
        
1880年代のようす。                  2010年代のようす。旧道は田んぼの中を進み、旧青柳橋方向へ。   

        
                            ○が旧青柳橋付近。対岸に旧道の一部。

街道沿いのお店。「上州まごころうどん 雷電の里」。

(9:41)「矢田川」に架かる「青柳橋」を渡ります。下流に旧青柳橋がありました。


               「館林市」入り。

その付近まで行ってみようとしましたが、軽トラと農作業中の声。

旧道らしき道を歩いて国道に復帰します。

館林市の大きな観光案内板。

幹線道路らしくダンプや貨物がひっきりなしに轟音を上げて通りすぎます。


1880年代のようす。すでに現在の道路と重なる。


2010年代のようす。区画整理した田畑が広がっている。


(10:00)しばらく進むと、「茂林寺入口」交差点。
                     
                     「歩道橋」から街道を見下ろす。

「茂林寺」といえば、「分福茶釜」。

分福茶釜
 日本中で語り継がれている昔話のひとつ。文福茶釜とも表記する。
 そのルーツは群馬県館林市の茂林寺に伝わる伝説で、茂林寺には現在も狸が化けたとされる茶釜が伝わっている。

あらすじ
 古道具集めが一番の趣味である和尚さんが茶釜を買って寺に持ち帰る。茶釜を見ると汚れていたので弟子の小僧さんに茶釜を磨くよう命じるが、洗っている途中に茶釜が痛がったので、和尚さんに報告する。和尚さんは茶釜を水で満たし火に懸けたところ、何事もなかったので「雑念があるからだ」と小僧さんを叱る。しかししばらくすると茶釜が熱さに耐え切れず動き出したので気味が悪くなった和尚さんはたまたま近くを通りかかった貧しい古道具屋に茶釜を売ることにする。
 古道具屋はその夜奮発して鯛を買うが、食べようとしたところ鯛がなくなっていた。途方にくれる古道具屋だったが、茶釜を背負ったタヌキが「魚を食べたのは自分です」と白状する。茶釜は仲間との化け比べで元に戻れなくなったタヌキが化けたものだった。
 同情した古道具屋はタヌキが元に戻れるまでの間家に泊めることにする。タヌキはお礼に、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。この考えは成功して古道具屋は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになったという恩返しの話である。

 見世物小屋が繁盛した後の結末が二つに分かれる

① 古道具屋がタヌキを元の姿に戻す方法を模索するが、タヌキは化けたままで居続けた疲れから病にかかり、古道具屋の看病も虚しく元に戻れないまま死んでしまう。悲しんだ古道具屋は茶釜を引き取った寺で和尚さんに全てを話してタヌキを供養してもらい、茶釜は寺の宝として安置される。

② タヌキはかつて和尚さんに食べ物を恵んでもらった恩があり、古道具屋が再び寺を訪れた際にその事を思い出した和尚さんと再会を喜んで寺で暮らすことになる。茶釜は毎日お供え物をもらい家宝になる。

月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「茂林寺の文福茶釜」。タヌキが僧に化けたという説に基いて描かれたもの。

(以上、「Wikipedia」参照)

ぶんぶく茶釜
放送回:0004-A 放送日:1975年01月28日(昭和50年01月28日)
あらすじ
 和尚さんが古い茶釜を買ってきて、お湯を沸かそうと火にかけたところ、茶釜が「熱い!」と悲鳴をあげた。気味悪がった和尚さんは、古道具屋にただで譲った。
 古道具屋は家に持って帰って、その茶釜がタヌキが化けたものだと知る。タヌキはその姿のまま元に戻れなくなってしまったというので、古道具屋はタヌキの言われたままに見せ物小屋を作ってやり、分福茶釜と銘打って見せ物をしてたくさんのお金を稼いだ。
 やがてタヌキは病気を患い、茶釜の姿のまま死んでしまった。古道具屋は茶釜をお寺に運んで供養してもらった。その茶釜は茂林寺に今も伝えられているという。
(稿: 蔵人 本掲載日2012-8-14 14:35 )

(この項、「」HPより)

行かない代わりにパチリ。

(10:06)「諏訪町」交差点(Y字路)を右に曲がります。


 この先、かつては1㎞以上、杉並木が続いていましたが、道路拡幅工事等ですっかりなくなっています。

りっぱなお屋敷。

 いよいよ「館林」の中心部に入っていきます。
 
「新宿2丁目」交差点。

東武伊勢崎線の踏切を渡ります。しばらく待って振り返ると、電車が通過中。

(10:30)「舗装道路完成記念」碑等。この付近まで杉並木だったか?

来た道を振り返る。「新宿1丁目」付近。
 注:「新宿」の読みは「しんじゅく」。

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