おやじのつぶやき

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読書「名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語」ちくま学芸文庫

2013-07-05 22:16:24 | 読書無限
 「現代文」(現国)で扱っていた教材とその注釈や解説文を網羅したユニークな仕立ての書。世間の人はもちろん、この教科書で学んだ(学ばされた)生徒だった人たちにもあまり目に触れない、それでいて為になる内容が盛りだくさん。
 『現代国語Ⅰ』(1963~81年使用)、『現代国語2』(1964~83年使用)、『現代国語3』(1965~84年使用)に掲載された本文とその指導書を収録してある。 

全編を読み、さて、最後の解説「魅力的な『暴挙』」(安藤宏)に目を通したあげく、実は言いたいことは、そこにすべて尽きてしまったのです。まさにここに書かれてある通りではないか。・・・ムムム。
 現代国語の「定番教材」。今でも「1年で『羅生門』、2年で『山月記』(注:『こころ』の方が定番と思うのだが)3年で『舞姫』」という具合な内容もその通り、とうなずくばかり。
 たしかに筑摩の教科書は教えにくいという現場からの声が多かった。それは扱っている教材よりも「指導書」(教師用の虎の巻)があまりグレードが高すぎて実際の授業の時に役立てにくい、参考にしにくい・・・。
 「尚学図書」や「東京書籍」のものとに比べるとうも、と理由にもならないような理由で、現場では採用されにくかった教科書。
 たしかに授業時の一問一答形式の懇切丁寧な「発問集」とかはないし、テスト問題もついてないし、絵や写真も少ないし、難しいところは省略するなど、切り貼り自由な教材にはなっていない、・・・実に昔ながらのオーソドックスなスタイルを堅持していた。「三省堂」は教材はユニークなのが多くて新鮮で面白かったが、大学受験向きではなかった・・・。
 そういうさまざまな特徴(短所、長所)がある教科書。やはり定番教材は芥川龍之介の「羅生門」、中島敦の「山月記」(あるいは、夏目漱石の「こころ」)、森鴎外の「舞姫」。どこの教科書でも扱っていることには変わりない。
 他の3人に比べ、中島敦は「山月記」が教科書に載っていなければ、埋もれたままになっていたかもしれない。この教材を発掘した編集者に感謝しなければ、と。当時の高校生にとっては印象深い作品ではあると思うが、はたして内容理解のほどは?

採りあげていた作品と解説者の紹介(一部)
(小説編)
・羅生門(芥川龍之介) 平岡敏夫
・夢十夜(夏目漱石) 猪野謙二
・山月記(中島敦) 分銅惇作
・富岳百景(太宰治)  〃
・こころ(夏目漱石) 秋山 虔
・藤野先生(魯迅) 大室幹雄

(随想編)
・清光館哀史(柳田国男) 増田勝実

(評論編)
・失われた両腕(清岡卓行) 鈴木醇爾
・無常ということ(小林秀雄) 分銅惇作

(詩歌編)
・「ネロ」について(谷川俊太郎) 谷川俊太郎
・I was born(吉野弘) 吉野弘
・・・
 今や大学入試で小説教材を出題することが少なくなり(センターだけは大問4つのうちの1つで50点分あり)、評論もそのセンターで小林秀雄を出して平均点が下がったと批判(?)されるご時世。
 こうした硬派の作品を掲載して、なおかつそうそうたるメンバー(ご本人にも)で解説をしていた「筑摩版現代文」は、もう過去のものになってしまったのか。
 安藤さんがもっとも感銘を受けた「清光館哀史」(柳田国男)的世界が広がっているのかもしれない。まさに「暴挙」というべき「奇書」の類ではなかろうか。
 これは文庫版だが、どれほどの読者がいたのだろうか。受験生、まさか! 現役国語教師、少しは! 一般人(元高校生)手には取って? 元国語教師、今更、・・・けっこう奇特な連中かもしれん。
 携帯で撮った写真もなんだかぼんやり写っている。その後、国語・現代文の教科書には採用されることもなくなり、幻のように過ぎ去ってしまった作品も、中には含まれている。
 

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