![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c9/6295a08a1d3812840b050976dbb14ee4.jpg)
島尾敏雄の「死の棘」は壮絶な夫婦の葛藤(まさに格闘)を描いた「私小説」だが、その妻であるミホの、既刊書には未収録のエッセイを中心に編纂されたもの。編者は明らかではないが、巻末に解説として志村有弘氏の文章が掲載されている。
個人的には「愛の棘」というくくり(表題)はなじめないが、読者に、ミホの敏雄への、他者の詮索を真っ向から拒絶するほどの「愛」という言葉を越えた「アイ」の実相に迫らせようとする編著者の意図を感じる。
近刊書で島尾ミホの生涯を描いた作品(むろん、島尾敏雄の私小説・「死の棘」の虚実を含めてのものになるのだろう)があるやに聞く。ついそんな話題にも、・・・。
夫の誕生日。ひと月近くも家に帰らない夫を迎えに駅に迎えに出る私と幼い二人の子ども。寒さに震える我が子を家に寝かしつけて自分一人駅に向かう。終電車の過ぎ去ったホームに立ち尽くす私。線路に横たわって貨車に轢かれる寸前、耳に突然聞く夫の声にはっと我に返り、我が家に戻る。夫の誕生祝いの四人前の尾頭付きの鯛が冷たく食卓に置かれている。淋しさのあまり夫の部屋に入り、開かれたままの日記に書きなぐられた数行の文字に眼が吸いよせられた瞬間、錯乱状態に落ちていってしまった。
その後の経過を含めて、島尾敏雄の「死の棘」に明らかにされていくが、「錯乱の魂から蘇えって」という一文にミホ自身がまとめかえしている。
「あらぬ方を向いて焦点の定まらなかった私の瞳がやがて対象物に結ばれるようになった時私の眼は夫の姿をはっきりとらえられることができました。が、その向う側にもっと広い広い世界があることも感知できたのです」(P23)
「『死の棘日記』は、夫婦の葛藤を書いた作品と読めますが、私には夫婦の絆の深さと、夫婦が更に愛を深め会う『夫婦愛日記』」にも思えます」(P133)とまで昇華する。
「『死の棘』から逃れて」も壮絶な内容ですが、奄美大島に帰った後、「はっきりと過去に訣別を告げることができ(まし)た」(P35)ことによって、私が嘘のように発作を起こさなくなった件は、その後の夫婦「愛」の如実なようすを彷彿とさせる。
「奄美大島」をこよなく愛した作者は、鎮魂歌を奄美方言で書き表している。まるで亡き夫との心からの交信の如き旋律として。
・・・アカスユヤ クリティ (ふたりで)明かす夜が暮れて
ナーキャユーヤ エヘユム あなたの夜が明けて行きます
カホシティヌ アリバヤ 果報な機会が 巡ってくるなら
マタミキョソ またお会いしましょう
島尾敏雄との出会いから結婚、(破滅的な)家庭生活、そして突然の夫の死。その後の自分の生き様・・・。島尾敏雄の、多くの作品鑑賞(読み方)にも深く(琴線に触れる)つながっていく作品でした。
ミホ自身の生き方、まほろばの、もっと言えば、フィクションの世界の中での己のありようであり、突き詰めれば、芸術家(あるいは作家)の性(さが)、宿業のようなものに通じる、と思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/c7/0e9f9c7971c8cf2414b83afa5419d4d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1c/fb82d973f0b13794558dc9aeabf64c9f.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます