おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その2。一直線の水路。鷹野橋。天神橋。十軒橋。・・・赤城山・筑波山。やぐるま街道。(「中川」を遡る。第8回目。)

2022-10-10 20:44:01 | 中川を遡る

          右岸を歩きます。対岸は、「埼玉園芸市場」。

「内野橋」までは、1617年(元和3)に完成した灌漑用水路「手子堀」沿いを歩いたため、中川に架かる「鹿沼橋」、「板橋」等は通りませんでした。

その隣でも大きな建設工事。

田園地帯が広がります。

鱗雲?

川沿いの直線道。下流方向。

上流方向。見渡す限り一直線。車、人とも遭わない。

鷹野橋。

上流を望む。遠くに上州の山々が。

赤城山(↓)。

天神橋 

上流を望む。

※橋の名については、親柱に刻まれた橋の名はほとんどなく、また、次々と橋が架かっています。そのため、先人の記録を頼りに記していますが、定かではありません。

天神橋。

                     遠くに筑波山(↓)。

JAの施設。「利根川のめぐみ ほくさいのお米」とあります。

「十軒橋」のたもとには「やぐるま街道」ポケットパークがあります。

        

この道路は、江戸時代から明治初期まで河川交通で栄えた大越(おおごえ)と、その後東武鉄道の開通を機に繁栄を遂げた加須市内とを結ぶ道として、加須市の伝統工芸品である「こいのぼり」を象徴した個性的な街づくりの一環として整備した、市を南北に貫く花と緑のネットワーク道路です。

また、加須市は利根川沿いに開けた水田地帯であるため、河川や用水路が多く流れていることから、この河川等で魚が元気に泳ぐ姿を市の伝統工芸品である「こいのぼり」に、南北を縦断するこの道路をこいのぼりの竿に、この竿の頂点にある矢車を大越の利根川と見立て、その矢車に通じるということで別名「やぐるま街道」と呼んでいます。

この「やぐるま街道」は、「桜」「ハナミズキ」や市の花「さつき」が植栽されているほか、こいのぼりのモニュメントやポケットパーク等が設置されており、桜が咲き楽しく歩けるみちとして親しまれています。

また、「ジャンボ鯉のぼり」の遊泳等様々なイベント会場となる利根川まで来訪者を導く案内路であるとともに、緑と花に親しまれる散歩路等が「やすらぎと潤い」のある空間を醸し出しています。

加須市の鯉のぼり産業は明治時代から続いています。全長100メートルのジャンボこいのぼりは、昭和63年に開催された「さいたま博」に合わせ、加須青年会議所により加須市のPR作品として制作されました。その後、専門家の助言などをいただき加工・修繕し、ジャンボこいのぼりは平成元年第1回加須市民平和祭で公式に初遊泳されました。それ以来、毎年同イベントの目玉行事として、ジャンボこいのぼりの遊泳を実施し、現在は4世が活躍しています。

2世データ 全長111メートル 重量730キログラム

   4世データ 全長100メートル 重量330キログラム

   (この項、「」HPより)

句碑。日本の 空の長さや 鯉のぼり 水尾

その隣には詩碑「日と水と」。

前に水あり 後ろに空あり ・・・前に誓ひあり 後ろによろこびあり 感謝あり

解説板。

         俳句・詩は、どちらもも地元の俳人 落合水尾さんの作品。

ここで、小休憩。歩き初めて約80分。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その1。八ツ島橋・古い橋。道橋。合流する落水(堀)。内野橋。天神堀。(「中川」を遡る。第8回目。)

2022-10-09 20:23:29 | 中川を遡る

                      起点にある解説板。

10月9日(土)。晴れ。

久々の晴れ間。今回で「中川を遡る」の最終回にしようと、出かけました。前回同様(同じ事を繰り返す)、途中で迷い、途中、中川から外れ、最後、何とか起点にたどり着きました。

今回。前回の最終地点までは、バス便がない。そこで、JR東鷲宮駅から朝日バスに乗って、「豊野コミュニテイセンター」まで。そこから上流に向かって歩くことにします。

「県道3号線」が通る「門樋橋」(前回の最終地点)から工業団地までを省略するかたちになります。

      

                    田園風景。遠くの山々まで見渡せます。

左岸を歩きます。

              

途中で見かけた大きなお屋敷。

                   

前回の時とは違い、日差しはあるものの、爽やかな天気。

前日までの雨で水は濁り、けっこう流れも速そう。その中に、水鳥(たぶんカルガモ)の姿もチラホラ。

今日最初の橋。

「八ツ島橋」。人道専用橋。欄干はボロボロでかなり古い橋。橋名の八ツ島はこの付近の子字名。

下流を望む。

         上流の橋「道橋」には、短い距離で。

道橋」脇に設置された「一級河川 中川」の標識。

この先、通行不能のため、橋を渡ります。合流する落水「手子堀」の土手を進むことに。

 

「農榮橋」。この落水(堀)から右折して中川へ。

「内野橋」。そこにあった「天神堀」という標識。

河川改修前は、この付近の中川は、天神堀(この付近の上流)や島川(下流)と呼ばれていました。

この先、中川土手を歩きます。

下流を望む。

上流を望む。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『民主主義全史』(ジョン・キーン 岩本正明訳)ダイヤモンド社

2022-10-07 20:12:04 | 読書無限

安倍元首相の「国葬儀」。法的根拠もないまま、閣議決定もないまま、国会への事前手続き(説明・同意)もないまま、すべて「ないままに」、岸田首相の独断というべきかたちで決定され、多額の税金を支出し、さらに自衛隊を前面に出して、挙行されました。

葬儀前もその後も、国民の意思(反対多数)は一顧だにされず、無視されています。

しかし、一方でこうした自公政権を支持する議員・支援者だけではなく、快哉と叫ぶ識者と称する評論家、文化人がマスコミにしばしば登場している現状。

「旧統一教会」、また「統一教会」と自民党との癒着問題は大した問題ではない、他にたくさん課題が山積している、それを論議すべきだ、と、野党たたきとマスコミへの圧力・・・。

安倍国葬でも、若い世代が多く献花に参列した。反対意見は、大陸からのものだ(そう投稿した議員は、撤回したようだが、その発言主は・・・)とか、・・・。

それでもまだ日本は、ましなのではないか。まだ議論ができるから、と高をくくってはいないでしょうか。

この書の副題として「独裁vs民主主義 これからの世界はどうなる? 」とあります。

民主主義をめぐる景色は一変している

30年ほど前まで、民主主義の前途は明るく見えた。人民の力は重要だった。恣意的な支配に対する市民の抵抗が世界を変えた。いま、民主主義者たちが不安定な時代を生きているという感覚にさいなまされながら、劣勢な立場置かれているのはなぜなのか。(表紙見開き)

「人民」による支持を得られた秩序と強力な政府こそが、まさに新たな専制主義国家としての、自信に溢れた支配者達が提供しているものであることは、間違いない。

彼らは、時代遅れの独裁国家や君主国家、軍事独裁国家とは違う。20世紀のファシズムや全体主義とも混同してはならない。新しいタイプの強権国家であり、支配者達は国民の生活を操作し、支持を集め、従属させる術に長けている。

富やお金、法律、選挙に加え、「国内の不満分子」や「海外の敵」から「人民」と「国家」を守るというメディアによる情報操作によって、徹底した依存関係を構築する。・・・彼らが抑圧や暴力によって支配していると考えるのは間違っている。彼らは巧妙な統治を心がけている。・・・彼らは詐欺と誘惑においては完璧主義者だ。「まやかしの民主主義」の支配者だ。(P247)

この書では、中国、トルコ、ロシア、インド、イラン、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、またトランプ政権などを例に挙げて指摘します。

筆者の目から日本の政治状況は、民主主義史のなかで、どのようにとらえられているのでしょうか?

「集会民主主義の時代」(メソポタミア~ギリシャ)→「選挙民主主義の誕生」(欧州~大西洋へ)→「牽制民主主義の未来」(挑戦を受ける多様な民主主義)

という章立てで、「民主主義全史」を手短にとらえ直します。

牽制民主主義」というとらえ方が、言い得て妙な表現です。「選挙民主主義」ではとらえきれない民主主義のこれからのあり方を示唆する表現です。

かといって、選挙を軽んじてはなりません。選挙も「牽制」の大きな手段です。

以下は、「ダイヤモンド社」による、この書の解説紹介文です。

「民主主義」がこれほど注目される時代になったのは、私たちが不安定な時代を生きているという感覚にさいなまれながら、民主主義が劣勢な立場に置かれていると感じているためではないでしょうか。

【政治的に経済的に】中国のような専制、独裁国家のほうが、決められない民主主義国家よりも有利なのではないか?

【広がる格差】格差を生む資本主義と民主主義は、究極的には相性が悪いのではないか?

 たとえば、民主主義を支持する私たちも、このような疑問で揺らいでいます。それでもなぜ、民主主義を擁護すべきなのでしょうか? ジョン・キーン教授は、このような疑問に明快に応えてくれます。

 私たちは、民主主義国家である日本に育ちながら、民主主義のことをあまりに知りません。日本人を含む民主主義国の国民は、中国やロシア、そしてかつての民主主義国に誕生した「まやかしの民主主義国家」を率いる専制主義者からかつてなくプレッシャーを受けています。民主主義の歴史を知る意味はまさにここにあります。

 議論、意思決定、代表、選挙、議会、権力、平等、多様性……民主主義の本質に迫る、さまざまなジャンルの読者の関心に応えられる、新しい時代の教養書として読める一冊です。

※参考図書として

「史的システムとしての資本主義」ウォ-ラーステイン 川北稔訳(岩波文庫)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その3。島川の流れ。カルガモ。JR宇都宮線。県道3号線。(「中川」を遡る。第7回目。)

2022-10-04 21:26:57 | 中川を遡る

               「久喜宮代衛生組合 八甫清掃センター」。

新幹線の鉄橋をくぐり、すぐ上流にある橋を渡ります。

下流を望む。

上流を望む。

この付近の今昔。

                     1880年代のようす。中川(旧島川)のようす。

けっこう大きな流れになっている。自然堤防が現在も残っている。利根川東遷後も、大きな川としてあり、両岸には「塚」という地名があり、微高地だったことが分かる。

                     2010年代のようす。改修された中川。

左が新幹線。左岸に旧土手が細い道に。

右岸を上流の「島川橋」に向かって歩きます。

新幹線高架橋。

水鳥。大きくなったカルガモの姿も。

田園風景が広がる。

「稲荷木排水路」。

ヨシの原。

          

しかし、この先、「島川橋」の改修工事のため、土手道は行き止まり。土手を下りて歩くことに。

迂回してやっとたどりついた「島川橋」から上流を望む。

橋を渡って左岸へ。ふと下を見ると、カルガモの姿。

TVなどで見る雛を連れてのカルガモの移動シーン。そのカルガモたち。大きくなって、こうして広々とした川面で生活しているのですね。

下流を望む。

この先、渡ろうとしたJR宇都宮線の踏切付近も大工事中。大きく迂回せざるをえません。

遠くに中川に架かる水道橋。

大きく迂回して踏切を渡ります。

     

畔道のような道を歩き、大きな「県道3号線(川越栗橋線)」に出ます。

左折して進み、中川に架かる橋を渡って右岸を歩けばよかったのですが、そのまま左岸を歩くうちに、工場地帯に紛れ込み、また県道3号線に戻ってしまうしまつ。

午後2時近くになったので、ここで挫折。沿道のお店に入って遅い昼食を食べて、今回は、お終い。

そこから最寄り駅はJR・東武線「栗橋駅」。けっこう歩きました。学校帰りの高校生の後をついて、駅まで。

次回は、どこから歩き始めるか、思案中です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その2。かつての利根川本流(権現堂川)。狐塚。東北新幹線。(「中川」を遡る。第7回目。)

2022-10-03 21:17:48 | 中川を遡る

                      広場の四阿。左手奥が中川の流れ。

その手前の農家の道路端にはコスモス。

     周囲のようす。

                     ここで、小休止。

さて、先を続けます。

                     右手は狐塚というところ。歩いているところは、自然堤防の一部。

右手に池が。

この「内池」は、天明六年の洪水によってできた「落ち堀」。その3年前に起こった浅間山の噴火の影響で火山灰などが堆積し、中川(当時は島川)は、河床が上昇し、洪水が起こりやすくなっていました。

「狐塚ヘルシーパーク」。 

 「ヘルシー」という名前のとおり、おもに大人が健康を保つための遊具が置かれています。トイレがあります。

「昭和橋」。

中川左岸の久喜市狐塚と右岸の幸手市松石とを結び、埼玉県道316号線(阿佐間幸手線)が通ります。

この先は、中川を見ながらの土手歩き。

「昭和橋」を振り返る。

                      右手が久喜市、左手が幸手市。

暖かい日差しの下、のんびりと。というか、暑い、暑い!

遠くに「東北新幹線」「秋田新幹線」「山形新幹線」。連結された列車。

       

                   一面に広がる、まだ刈り入れの終わらない稲穂。

            

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その1。権現堂堤・彼岸花。行幸橋。中川旧流路。(「中川」を遡る。第7回目。)

2022-10-02 20:31:47 | 中川を遡る

                     「権現堂堤」。                              

久々に「中川」の上流を歩きました。予定では、「権現堂堤」から上流を行けるところまで、と。

ところが、JR宇都宮線の踏切から先の道に迷い、行ったり来たり。

うろうろしたあげく、暑いくらいの陽気の中で歩き疲れ、途中、県道沿いのお店に入って、遅い昼食。

その先は諦めて、栗橋駅まで戻ることに。結局、駅の数としては二駅分。

それでも、青空の下、久々の歩きでした。

幸手駅から歩いて約40分。日光道中歩き以来の「幸手宿」。そして、「権現堂堤」へ。

前回、中川歩きで今年の6月に来たときは、アジサイの花がたくさん。今回は、彼岸花が。

少し時期は遅かったですが、それでも、堤一面、彼岸花。

         

                          白色のものも。

        

土手上にあるのは、「行幸堤之碑」。

行幸堤(みゆきづつみ)之碑」。

 権現堂堤は、権現堂川の水防のために江戸時代になる前に造られた堤です。
 しかし、江戸時代を通じて何回もの洪水を経て、明治時代になって地元から新しい堤防造成の機運が起こり、明治8年6月に着工し、10月にはここから栗橋町小右衛門にかけて旧日光道中に並行した新権現堂堤が完成したのです。(現在は国道4号線がその上を通っています。)
 明治9年6月に、明治天皇が東北巡幸に立ち寄られてその労に感じ入り、この仕事に携わった者の名前を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されました。
 人々は大変恐縮し、是非この堤を行幸堤と呼ばせていただきたいと申し出たところ許可されたということです。
 明治22年の町村制施行によって高須賀村。外国府間村・円藤内村・松石村・千塚村が合併し行幸村となりましたが、その村名もこの行幸堤に由来しています。
 また、この石碑の建っている部分は行幸橋の架け替え工事(平成12年~17年)以前はゆるやかな斜面であったため、石碑自体は歩道の近くにあって国道側を向いていましたが、堤が高くなっために上に移し、見やすいように現在の向きにしたものです。

さて、上流に向かいます。

   権現堂堤・西端。

「行幸橋」からの中川。

これより上流の中川は、かつての「権現堂川」に流路の変更を行った「島川」(一部、開削された水路)になります。

橋を渡って左折し、すぐ右折しますが、この道は旧「日光街道」。

右に折れる。

                前方は、東武日光線の鉄橋。

旧日光街道から分かれ、左の道へ。東武線のガードをくぐると、中川の土手へ。

東武線の鉄橋を振り返る。

中川の流れ。

右手には、一面、刈り入れが終わった田んぼが「広がる。

こちらは、畑。

             農作業中のご婦人に聞くと、ネギや小豆を植えている、とのこと。

少し回り込み、中川に合流する流れに架かる橋を渡ります。

大排水路。

この流れの桜並木がすばらしい、とか。

再び、中川の土手道へ。

河川敷に遊歩道があります。

この付近は、かつて流れが大きく広がっていました。

1880年代のようす。中川(旧「島川」)の氾濫原(沼地)。

2010年代のようす。自然公園風になっています。かつての土手が現在の道に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする