FOR ALL WE KNOW/ふたりの誓い(Capenters/カーペンターズ)1970
「Let's take a lifetime to say
I knew you well
For only time will tell us so
And love may grow for all we know
ともに過ごすなかで
こう言えるようになりましょう
"あなたのことよくわかってる"
時間だけが教えてくれるのよ
私たちがよく知り合えるため
愛が育っていきますように…!」
この曲をかれこれ四半世紀以上聴いているが、まともな和訳に出会ったことがない。
難しいのは、サビの一文”And love may grow for all we know”で、引用したブログの方は祈願文として解釈しているが、これは”おそらく”間違いだろう。祈願文であれば”May love grow for all we know!”という風に倒置文になるはずだし、”for all we know”とのつながりが不自然になってしまう(但し、この点を除くと、上のブログはよく調べられていて分かりやすい。)
それにしても難しい”for all we know”だが、ここは捻って考えないのがよいことに気づいた。
それは、以下のブログを発見したからである。
#662 For All We Know
「ここでの“for all we know”は、普通「私たちがすべてを知っている」という肯定的な意味である。
だが、“for all I know”となると「多分~であろう」という意味のイディオムになることから、「どうも~らしい」「おそらく~」というニュアンスを含んでいそうな気がする。いや、多分そうであろう(笑)。
ということで、拙訳は“for all we know”を適当に解釈してある。要するに曖昧にしてあるということだ(笑)。」
こちらは同名異曲で、内容はカーペンターズとは逆の「別れ」を歌ったもの。
”for all we know”が”may”とコラボして、「おそらく/どうやら」俺たちがもう会うことはなさそうだ、とか、「おそらく/どうやら」明日は決してやってこないらしい、などという風に使われている。
「ほかの可能性があるのかもしれないが、俺たちの知っている限りでは・・・となりそうだ」というニュアンスのようである。
常識的に考えて、”おそらく”、カーペンターズの”for all we know”も、これと同義と思われ、そうすると「おそらく」という風に解釈するのが正しいのだろう。
結局、カーペンターズの方は、「そして、愛は、おそらく、(時間をかけて)少しずつ大きくなっていくのだろう。」とでも訳すのが適当ということなのだろう。
「Let's take a lifetime to say
I knew you well
For only time will tell us so
And love may grow for all we know
ともに過ごすなかで
こう言えるようになりましょう
"あなたのことよくわかってる"
時間だけが教えてくれるのよ
私たちがよく知り合えるため
愛が育っていきますように…!」
この曲をかれこれ四半世紀以上聴いているが、まともな和訳に出会ったことがない。
難しいのは、サビの一文”And love may grow for all we know”で、引用したブログの方は祈願文として解釈しているが、これは”おそらく”間違いだろう。祈願文であれば”May love grow for all we know!”という風に倒置文になるはずだし、”for all we know”とのつながりが不自然になってしまう(但し、この点を除くと、上のブログはよく調べられていて分かりやすい。)
それにしても難しい”for all we know”だが、ここは捻って考えないのがよいことに気づいた。
それは、以下のブログを発見したからである。
#662 For All We Know
「ここでの“for all we know”は、普通「私たちがすべてを知っている」という肯定的な意味である。
だが、“for all I know”となると「多分~であろう」という意味のイディオムになることから、「どうも~らしい」「おそらく~」というニュアンスを含んでいそうな気がする。いや、多分そうであろう(笑)。
ということで、拙訳は“for all we know”を適当に解釈してある。要するに曖昧にしてあるということだ(笑)。」
こちらは同名異曲で、内容はカーペンターズとは逆の「別れ」を歌ったもの。
”for all we know”が”may”とコラボして、「おそらく/どうやら」俺たちがもう会うことはなさそうだ、とか、「おそらく/どうやら」明日は決してやってこないらしい、などという風に使われている。
「ほかの可能性があるのかもしれないが、俺たちの知っている限りでは・・・となりそうだ」というニュアンスのようである。
常識的に考えて、”おそらく”、カーペンターズの”for all we know”も、これと同義と思われ、そうすると「おそらく」という風に解釈するのが正しいのだろう。
結局、カーペンターズの方は、「そして、愛は、おそらく、(時間をかけて)少しずつ大きくなっていくのだろう。」とでも訳すのが適当ということなのだろう。