「近松物語」を観る。
木庭顕先生の「誰のために法は生まれた」の1番目に取りあげられていた映画である。
先生の解説のとおり、江戸時代初期終わりの京都では、集団(イエ)どうしのEchange(エシャンジュ)の応酬に明け暮れていた。
町人のみならず、貴族や武士を含め、そこに自由で独立な個人は全くいない。
今の日本もそう変わらないかもしれないが、江戸時代の日本は、まさしく「絶望の社会」に思えてくる。
わずかな希望は、おさんと茂兵衛の信頼関係、茂兵衛をはじめとする商人間の信用くらいである。
しかも、白黒の画面と浄瑠璃風のBGMが「絶望」を増幅させている。
木庭顕先生の「誰のために法は生まれた」の1番目に取りあげられていた映画である。
先生の解説のとおり、江戸時代初期終わりの京都では、集団(イエ)どうしのEchange(エシャンジュ)の応酬に明け暮れていた。
町人のみならず、貴族や武士を含め、そこに自由で独立な個人は全くいない。
今の日本もそう変わらないかもしれないが、江戸時代の日本は、まさしく「絶望の社会」に思えてくる。
わずかな希望は、おさんと茂兵衛の信頼関係、茂兵衛をはじめとする商人間の信用くらいである。
しかも、白黒の画面と浄瑠璃風のBGMが「絶望」を増幅させている。