大学時代のある飲み会で、今は亡き西田典之先生が、「私が大学生のころは、平野先生(平野龍一先生)のように、ドイツの哲学者の著作を原書で読むような余裕はなかったですね~。」と語っておられた。
ちなみに、平野先生や団藤重光先生の教科書には、カントをはじめたくさんの哲学者の著作が引用されている。
西田先生の謙遜である可能性もあるのだが、先生の仰ったことが事実だとすると、おそらく、司法試験の勉強に割く時間を確保するために、研究や読書の時間が犠牲になったという事情があるのではないだろうか。
その後も司法試験はどんどん難易度が増し、司法試験を受験してもなかなか合格できない研究者が(刑法学者も)出てきた。
ロースクール制度の導入によって、合格率の問題は解消されたはずだが、依然として「無茶苦茶な競争」が続いているらしいことは、当ブログで何度も指摘したとおりである。
だから、研究者を目指している法学部生も、試験勉強(クソな競争)に巻き込まれている可能性が高い。
今や、「カントを原書で読んだことのない刑法学者」が、当たり前になっているのかもしれない。
ちなみに、平野先生や団藤重光先生の教科書には、カントをはじめたくさんの哲学者の著作が引用されている。
西田先生の謙遜である可能性もあるのだが、先生の仰ったことが事実だとすると、おそらく、司法試験の勉強に割く時間を確保するために、研究や読書の時間が犠牲になったという事情があるのではないだろうか。
その後も司法試験はどんどん難易度が増し、司法試験を受験してもなかなか合格できない研究者が(刑法学者も)出てきた。
ロースクール制度の導入によって、合格率の問題は解消されたはずだが、依然として「無茶苦茶な競争」が続いているらしいことは、当ブログで何度も指摘したとおりである。
だから、研究者を目指している法学部生も、試験勉強(クソな競争)に巻き込まれている可能性が高い。
今や、「カントを原書で読んだことのない刑法学者」が、当たり前になっているのかもしれない。