徳富蘇峰 終戦後日記 『頑蘇夢物語』
「蘇峰は日露戦争と比較し、「この戦争」には「戦争に一貫したる意思の無きこと」「全く統帥力無きこと」が明白であるとし、「我が大東亜戦争は、誰が主宰したか。それは申すまでもなく、大元帥陛下であることは多言を俟たぬ。しかも恐れながら今上陛下の御親裁と明治天皇の御親裁とは、名においては一であるが、実においては全く別物である」と痛烈に批判。そして単刀直入に「極めて端的に申し上げれば、今上陛下は戦争の上に超然としていましたことが、明治天皇の御実践遊ばされた御先例と異なりたる道を御執り遊ばされたることが、この戦争の中心点を欠いたる主なる原因であった」と結論づけたのである。昭和天皇在位中には公開を憚られた内容が、戦後60年以上を経て明らかにされ、敗戦をめぐる議論を巻き起こした注目の書を改めて世に問う。」
天狗病でも取り上げたが、戦前戦中に活躍した戦後はA級戦犯容疑者に指名された徳富蘇峰の日記。
この人の生涯には、近代日本の悲劇が集約されていると思う。
この人は、もともと同志社で新島襄から洗礼を受けるほどキリスト教に傾倒していたが、その後方向転換。
欧米列強に対抗すべく、天皇をキリスト教の「神」に相当するものとして位置づけようと考え、ジャーナリスト・著述家としてこの思想を一般に流布させようとする。
ところが、上に引用したところからも分かるように、この計画はとん挫した。
最後は、遺言により霊南坂教会で葬儀が行われたというから、再びキリスト教に帰依したようである(加藤周一の最晩年に似ている)。
やはり、自分が信じてもいない思想を流布させようとするのは矛盾というほかなく、彼はジャーナリストには向いていなかったということなのかもしれない。
「蘇峰は日露戦争と比較し、「この戦争」には「戦争に一貫したる意思の無きこと」「全く統帥力無きこと」が明白であるとし、「我が大東亜戦争は、誰が主宰したか。それは申すまでもなく、大元帥陛下であることは多言を俟たぬ。しかも恐れながら今上陛下の御親裁と明治天皇の御親裁とは、名においては一であるが、実においては全く別物である」と痛烈に批判。そして単刀直入に「極めて端的に申し上げれば、今上陛下は戦争の上に超然としていましたことが、明治天皇の御実践遊ばされた御先例と異なりたる道を御執り遊ばされたることが、この戦争の中心点を欠いたる主なる原因であった」と結論づけたのである。昭和天皇在位中には公開を憚られた内容が、戦後60年以上を経て明らかにされ、敗戦をめぐる議論を巻き起こした注目の書を改めて世に問う。」
天狗病でも取り上げたが、戦前戦中に活躍した戦後はA級戦犯容疑者に指名された徳富蘇峰の日記。
この人の生涯には、近代日本の悲劇が集約されていると思う。
この人は、もともと同志社で新島襄から洗礼を受けるほどキリスト教に傾倒していたが、その後方向転換。
欧米列強に対抗すべく、天皇をキリスト教の「神」に相当するものとして位置づけようと考え、ジャーナリスト・著述家としてこの思想を一般に流布させようとする。
ところが、上に引用したところからも分かるように、この計画はとん挫した。
最後は、遺言により霊南坂教会で葬儀が行われたというから、再びキリスト教に帰依したようである(加藤周一の最晩年に似ている)。
やはり、自分が信じてもいない思想を流布させようとするのは矛盾というほかなく、彼はジャーナリストには向いていなかったということなのかもしれない。