Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

日曜夜の進化

2021年10月03日 06時30分30秒 | Weblog
NHK大河ドラマは「原作なし」がトレンド 「国民的歴史作家」は消滅したか
 「もっともよく使われた小説家は司馬遼太郎であり、次いで吉川英治である。
 吉川が戦時中から戦後にかけての国民作家であり、司馬は1970年代から平成初期にかけての国民作家であった。
 司馬遼太郎なきあと(1996年逝去)、大河ドラマでは原作小説をあまり用いられなくなったということは、つまりわれわれはもはや“歴史小説を書く国民作家”を持たなくなった、とも考えられるのではないだろうか。
 大河ドラマの原作変遷をみて、ふとそうおもった。


 私はもともと大河ドラマを観る習慣がないが、たまたま出先で食事をしていたら「青天を衝け」の再放送をやっていたので、音声だけを聞いていた。
 その感想は、「相変わらず天下国家がテーマだな」というくらいだったが、ふと加藤周一氏による司馬遼太郎批判(愛情なき辛口)のことを思い出した。
 というのも、上のコラムニストが指摘しているように、かつて、大河ドラマの視聴者と司馬遼太郎作品の読者は、かなりの程度重なっていたと思われるからである。
 この点、加藤氏は、司馬氏の小説の根底にある価値観が、「モーレツ社員」を代表とする大衆の価値観(すなわち「型からの脱出と型のなかでの成功の願望」という分裂した夢)と一致していた(少なくともそのように見えた)ことを指摘している。
 だが、その前提には「経済的膨張」があったわけで、この前提が失われた現在において、司馬作品が大衆の価値観にシンクロする可能性は低い。
 NHKもその点は十分理解していて、あえて「原作なし」路線を続けているのだろう。
 これに対し、大衆の価値観とシンクロしているように見えるのは、TBSの日曜劇場であり、その筆頭が「半沢直樹」である。
 とはいえ、司馬遼太郎氏から池井戸潤氏への「進化」があったとみるのはおそらく早計で、加藤氏であれば、「中里介山・大佛次郎・吉川英治路線への先祖返り+「歴史」の要素の除去」と評したかもしれない。
 実際、池井戸作品の主人公は、司馬作品における「私生活においては型破り」という要素を欠いており、むしろ穏健化しているように見える。
 つまり、「仕事においては勧善懲悪、私生活においては健全」というのがトレンドということなのかもしれない。
コメント
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