「・・・このオペラは祝祭的で肯定的な空気のうちに終結を迎えるからだ。とはいえ、ヴェルディの森での仮装大会が、アメリカのクー=クラックス=クラン(黒人などの排斥運動を行う秘密結社)の”shivarees(なべかま音楽による騒ぎ)"、あるいは「十字架上の火刑」といった集団残虐行為のしきたりと関係があるという事実は隠せまい。」(ジョナサン・ミラー~公演パンフレットより)
つい先日、東京フィルの演奏会形式による素晴らしい「ファルスタッフ」を観たばかりだったので(黒い狩人)、これを越える水準のものが出るかどうか半信半疑だったのだが、なかなか秀逸な公演だった。
演奏会形式とは違って、第3幕の冒頭では、テムズ川から逃れてきたファルスタッフが腹の中にたまっていた水を舞台上に吐き出す演出があり、観客が爆笑していた。
これを演奏会形式の舞台でやると、おそらくヴァイオリン奏者に水がかかってしまうだろう。
さて、上に引用したジョナサン・ミラーの指摘のとおり、このオペラの「黒い狩人」には、集団残虐行為の儀礼の名残りが感じられる。
だが、「黒い狩人」の起源である(と私が勝手に思っている)古代アテネの通過儀礼においては、少なくとも「集団残虐行為」は存在しないはずである。
こういう風に、儀礼が誤解・誤用されてしまう現象もあるようだ。
軍隊における加入儀礼を組織強化の目的で借用(あるいは誤用)してしまうカイシャも似たようなものだろうか?