最近、昭和の時代には見られなかったタイプの天才を見るようになったと感じる。
偶然にも、そのうちの3人は苗字が同じである。
藤井健太郎、藤井風、藤井聡太。
(さらに言えば、「藤」原「聡」も、こういう映像を観ると、天才に入ると思う:Official髭男dism - Stand By You (Acoustic ver.)[Official Video]。また、しいて言えば、平成の時代、宇多田ヒカルが登場したときは、多くの人が”天才現る!”という感を抱いたものである。)
こういう人たちを見ると、いったいどういう育ち方をしてきたのだろうかという疑問が起こるのは当然で、藤井聡太氏についていえば、モンテッソーリ教育の影響が指摘されている。
藤井風氏については、父親の教育方針が強い影響を与えているようで、父親のことを「先生みたいな人」と言っているそうである。
(藤井健太郎氏と藤原聡氏については詳しくは知らないが、少なくとも、 自発性を阻害されるような育ち方はしていないように思われる。)
思えば、私が小学生のころ(昭和の時代)、教師は生徒に宿題を課し、提出出来ない場合には体罰(ホウキで尻を叩くなど)を加えていた。
また、中学生のころ(これも昭和)、音楽教師と一緒にマーラーの交響曲1番(3番だったかも?)のコンサートに行く話になり、チケットを買いたいと父に相談したところ、「クラシックのコンサートなんぞに1万円もの大金を出す余裕はない!」と一蹴された苦い思い出もある。
高校に進学すると(昭和から平成)、テストのたびに席次が職員室の前に貼りだされ、競争を煽るような体制が確立していた(教員も保護者も何の疑問も抱かないようであった。)。
大学(平成初期)では、”クソな競争”(法学部における犠牲強要とクソな競争)が繰り広げられており、日本は暗黒時代に突入していた。
こういう環境で育ってしまうと、少なくとも3人の藤井氏+藤原氏のような天才は生まれないだろう。
つくづく生育環境は決定的であると思う。