こうなると、レシプロシテ原理を理解した上で、法制度などの仕組みを整えることなどによって何とかその暴発を防がなければならないということになるはずだが、現在の日本ではそれが出来ていなかった。
批判の矛先は、民法学者に向けられる。
「しかし法律家にとって問題はさしあたり民法学の破綻として捉えうる。何といってもこの問題をまず担当するのは民法学者なのである。
・・・まず贈与に関する理論である。消費者法=契約法的アプローチではカルト集団の財産収奪には対処できない、原価がゼロに等しいものを売りつける場合も贈与である。ところが贈与に関する限りヨーロッパの膨大な蓄積を学びもしなかった(贈与に自由はない)。次に団体に関する理論の未発達ないし誤発達がある。20世紀を通じて日本の民法学は団体主義にむしろ狂奔したとさえ言えよう。
・・・法人理論はそもそも宗教団体のために生まれたのであった。」
「民法学の破綻」という手厳しい批判だが、確かに、カルト集団の発生・拡大を止められず、(壺などを利用した)”贈与”を違法と出来なかったのは、民法学者の責任かもしれない。
だが、「贈与」に関する「ヨーロッパの膨大な蓄積」や、教会法における「法人」理論などを研究するというのは、大変な作業である(英仏独語に加えラテン語などもマスターしておく必要があるだろう。)。
そのためには、おそらく、我妻榮先生クラスの「知の巨人」の登場を待たなければならないかもしれない(ちなみに、先生は、シカゴ大学に留学時代、社会学も熱心に勉強されたそうである。「我妻榮記念館だより(第12号)」)。
果たして、近い将来、民法学界に我妻先生のようなメシアが現れるのだろうか?
えっ?
我妻先生の「生まれ変わり」を待てばいいって?
そういうあなたは、中島みゆきさん?