Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

学者と裁判官

2024年02月02日 06時30分00秒 | Weblog
 「今や、司法の本質を理解しているのは、宇賀克也裁判官だけ。
本来、その役割を期待されている、弁護士出身裁判官は、もうずいぶん長い間、その存在感を失っています(むしろ、落胆させられることの方が多い。袴田最高裁決定、原発最高裁判決等)。

 数年前、高橋宏志先生の研修を受けた際、興味深いお話を聴いた。
 先生は、著名な民訴法学者であるが、一時期は弁護士登録もされており、法曹向けの講義をなさったのである。
 先生は、平成の民訴法大改正の精神として、「証拠隠し・出し惜しみを許さない」点を挙げた(やや記憶が不正確かもしれない。)。
 その際に先生が挙げた具体的な条文は、① 当事者照会(163条。民事訴訟の審理を充実させるために)、② 時期に後れた攻撃防御方法の却下(157条。民事訴訟法第157条時機に後れた攻撃防御方法却下を命じた判決理由紹介1 の2つである。
 ところが、①②とも、実務では殆ど活用されていないといって良い。
 その理由は、私見では、「裁判所が使わせたくないと考えているから」に尽きる。
 例えば、①を行おうとすると、裁判所は「釈明を促すから十分でしょ」などとあれこれ理由を付けて取り下げさせるし、②はそもそも要件が厳しいうえ、要件を充足している場合でも(上級審で争われるのがいやなためか)認めない裁判官が多いのである。
 学者がよかれと思って推進した制度は、(争点が増えて審理を長引かせたくない、控訴審で争う材料を与えたくない、などという)裁判所の都合によって葬られてしまう。
 名割毒ぶどう酒事件の件でも同様の思いを抱く。
 再審制度を使いにくくしているのは、結局のところ、裁判所(と検察庁)なのである。
 この点、岡口判事はそもそも裁判官・検察官出身の最高裁判事には期待しておらず、弁護士出身裁判官に期待していたようだが、この事件では失望したことだろう。
 他の事案でもそうだが、最も常識的と思える宇賀裁判官の意見が「反対意見」になってしまうのは、やはりどう考えてもおかしい。
 今や、最高裁の唯一の良心は、学者出身の宇賀克也裁判官なのである。
 
 
 
コメント
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