「今や、司法の本質を理解しているのは、宇賀克也裁判官だけ。
本来、その役割を期待されている、弁護士出身裁判官は、もうずいぶん長い間、その存在感を失っています(むしろ、落胆させられることの方が多い。袴田最高裁決定、原発最高裁判決等)。」
本来、その役割を期待されている、弁護士出身裁判官は、もうずいぶん長い間、その存在感を失っています(むしろ、落胆させられることの方が多い。袴田最高裁決定、原発最高裁判決等)。」
数年前、高橋宏志先生の研修を受けた際、興味深いお話を聴いた。
先生は、著名な民訴法学者であるが、一時期は弁護士登録もされており、法曹向けの講義をなさったのである。
先生は、平成の民訴法大改正の精神として、「証拠隠し・出し惜しみを許さない」点を挙げた(やや記憶が不正確かもしれない。)。
その際に先生が挙げた具体的な条文は、① 当事者照会(163条。民事訴訟の審理を充実させるために)、② 時期に後れた攻撃防御方法の却下(157条。民事訴訟法第157条時機に後れた攻撃防御方法却下を命じた判決理由紹介1 の2つである。
ところが、①②とも、実務では殆ど活用されていないといって良い。
その理由は、私見では、「裁判所が使わせたくないと考えているから」に尽きる。
例えば、①を行おうとすると、裁判所は「釈明を促すから十分でしょ」などとあれこれ理由を付けて取り下げさせるし、②はそもそも要件が厳しいうえ、要件を充足している場合でも(上級審で争われるのがいやなためか)認めない裁判官が多いのである。
学者がよかれと思って推進した制度は、(争点が増えて審理を長引かせたくない、控訴審で争う材料を与えたくない、などという)裁判所の都合によって葬られてしまう。
名割毒ぶどう酒事件の件でも同様の思いを抱く。
再審制度を使いにくくしているのは、結局のところ、裁判所(と検察庁)なのである。
この点、岡口判事はそもそも裁判官・検察官出身の最高裁判事には期待しておらず、弁護士出身裁判官に期待していたようだが、この事件では失望したことだろう。
他の事案でもそうだが、最も常識的と思える宇賀裁判官の意見が「反対意見」になってしまうのは、やはりどう考えてもおかしい。
今や、最高裁の唯一の良心は、学者出身の宇賀克也裁判官なのである。