「修道院に入る予定のマノンと若い学生デ・グリューは出会ってすぐに恋に落ちる。一方、金に目がくらむマノンの兄レスコーは彼女に惚れ込む老紳士や、金持ちのムッシューG.M.に妹の身柄を売りつけてしまう。パリの下宿で逢瀬を交わす恋人たち。マノンは彼が不在の間に兄が連れてきたムッシューG.M.の誘いを思わず受けてしまうのだが、富の誘惑とデ・グリューへの愛の板挟みとなる。宴の場でデ・グリューは、ムッシューG.M.にカードのいかさまを仕掛け彼女を連れ去るが、警察とともに二人のもとに現れたムッシューG.M.によってマノンは売春の罪で逮捕、レスコーは殺されてしまう。アメリカへ流刑されるマノン。夫と偽りデ・グリューは追いかけるが恋人たちの行く末は...。」
公演パンフレットに
「ヒロインのトップバッターはドロテ・ジルベール。2025年9月に42歳を迎えるので、彼女が踊るマノンの見納めになるだろう。」(p41)
とあるとおり、私の場合、この演目はドロテ様一択となった。
何しろ、毎年のように日本に来てくれる彼女のダンスが観られるのも、せいぜいあと1年半なのである。
ということもあって、最後の「沼地のパ・ド・ドゥ」は観ていてハラハラするような激しい回転リフトの連続で、終演後、彼女は珍しく息切れしていた。
さて、原作の「マノン・レスコー」について、おそらく日本では余り高い評価がなされていないと思う。
その理由は、金銭的な誘惑にすぐに負けてしまうマノンと、その魅力に抗うことのできないデ・グリューという2人の主人公に「感情移入するのが難しい」というところにあるように思う。
確かに、東京文化会館も、「こんな無節操な小娘とはさっさと縁を切ってしまえ!」と内心で思っているムッシュー/マダムが多そうな雰囲気である。
だが、マノンの行動を理解するには、当時の社会状況を踏まえる必要があった。
ロンドンにおける『マノン』の創作 ジャン・パリー
「プレヴォの小説を読み込み、台本を準備していたマクミランは、自分自身の幼年期の経験に照らし合わせて、マノンの生き方の根底にある強迫観念を見抜いた。ニューヨークで発行されている雑誌「ニューヨーカー」の1974年5月のインタビューで、マクミランはこう語っている。
「彼女の行動を理解する鍵は、彼女の貧しさにある。私はそう受けとめています。彼女は貧しいことを恐れているのではなく、貧しいことを恥じている。小説が書かれた当時、貧しさは、じわじわと人に死をもたらすものだったのです。」」(公演パンフレットp31~32)
そう、マクミランによれば、彼女の精神には「貧困恐怖症」とも言うべき強迫観念が巣くっていたのである。
もっとも、マノンには、(故田宮二郎氏のような)”赤貧洗うが如き”幼年期の「貧困トラウマ体験」があったわけではなさそうだ。
そうではなく、「没落現象」(25年前(10))としての貧困に対する恐怖があったように思われる。
つまり、マノンは、「実体験としての貧困トラウマ」ではなく、「貧困がもたらすアノミーに対する恐怖」を抱えていたのである。
その背景としては、「若い女は金持ちの男を手玉に取って生きていくことが出来るかもしれないが、年をとるとそれも出来ず、女は「じわじわと」死んでいくしかない」という社会状況があったのである。
これを、現在の日本人が理解出来ないのも無理はない。
日本は、依然として経済的に恵まれた状況にあるからであり、このことは、例えば、韓国の老人の自殺率の高さを見れば一目瞭然である。
韓国では、生活苦による高齢者の自殺が多いのである。
「1980年代までの韓国は、両親と一緒に暮らし、若い世代が高齢者を支えるのが当たり前の社会だった。しかし、90年代半ばから世代が分離され、97年のアジア通貨危機以降は急速に進んだ。公的なケアや支援もないまま、高齢者は無防備な状態で貧困や病気、劣悪な住居、孤独に直面することとなったのだ。」
こういう風に見てくると、18世紀のフランスと21世紀の韓国には、「貧困は死をもたらす」という強迫観念が存在しているという点で、共通点があるのだ。
ということは、「マノン」を韓国で上演すれば、おそらく多くの観客に共感してもらえるということになるのではないだろうか?