・バッハ/ブゾーニ:前奏曲とフーガ変ホ長調《聖アン》BWV552
Bach: Prelude and fugue in E-flat major "St. Anne" BWV 552 from Clavier-Übung III(Freely arranged for concert use on the piano by Ferrucio Busoni)
Bach: Prelude and fugue in E-flat major "St. Anne" BWV 552 from Clavier-Übung III(Freely arranged for concert use on the piano by Ferrucio Busoni)
・バッハ:イギリス組曲第3番ト短調 BWV808
Bach: English Suite No. 3 in G minor BWV 808
Bach: English Suite No. 3 in G minor BWV 808
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 op.106《ハンマークラヴィーア》Beethoven: Piano Sonata No. 29 in B-flat major op. 106 "Hammerklavier"
チラシを見て「この人はおそらく天才」と直観的に感じてチケットを購入。
この直観は当たっていたようで、若いのに(大学二年生)、見事にバッハとベートヴェン(しかも難曲)をさらりと弾きこなす天才ぶりを示した。
ちなみに、パンフレットには、「ハンマー・クラヴィーア」第3楽章について、ハンス・フォン・ビューローが述べた言葉:
「No、それはまだ貴方には弾けません。貴方はまだ若すぎます。」
が引用されている。
テクニックだけでは決して表現できない、人生経験だけが与えてくれる苦難と歓喜のミックスによってはじめて表現できる芸術というものがあるのである。
マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)
右側の前から2列目に坐っていたら、見覚えのあるチェリスト3人が並んで入場してきた。
古川さん、江口さん、森山さんは、昨年9月開催の「クラシック・キャラバン」でチェリスト・グループ(緊張しない人)として出場していたメンバーである。
さて、マーラーの交響曲第10番は、彼の遺作であるが、未完の状態であったのを、
「デリック・クックだけがまるでマーラーが乗り移ったかのように取り組み、何年もかかって演奏可能な状態にまで仕上げました。」(インバル)
ということらしい。
この作品に着手する前のマーラーは、まさに人生のどん底にいたと言える。
「グスタフ・マーラー(1860~1911)が、夏の避暑地としていた南チロル地方(現イタリア領)のトプラッハで交響曲第10番の作曲を始めたのは1910年の7月初旬。交響曲第9番のスコアの浄書を終えてから3ヶ月後のことだ。翌年の5月18日に彼は世を去っているから、人生の残り時間はわずか10ヶ月余りでしかなかった。
それも波乱含みの時間だった。同じ7月の末には妻アルマ・マーラー(1879~1964)と建築家ヴァルター・グロピウス(1883~1969)の不倫関係が明るみに出る。アルマが夫を選ぶ意志を示して一応の決着を見るが、彼がこうむった痛手の大きさは、8月25日にオランダで精神分析医ジークムント・フロイト(1856~1939)のもとを訪れ、診断を請うた事実からも伝わってこよう。そこで得た所見により精神状態を好転させると、9月には第8交響曲のミュンヘンにおける初演を自らの指揮で大成功に導き、続く秋からのシーズンはニューヨーク・フィルと精力的な演奏活動にも乗り出したマーラー。しかし年末には病魔が発覚してしまう。」(曲目解説)
それも波乱含みの時間だった。同じ7月の末には妻アルマ・マーラー(1879~1964)と建築家ヴァルター・グロピウス(1883~1969)の不倫関係が明るみに出る。アルマが夫を選ぶ意志を示して一応の決着を見るが、彼がこうむった痛手の大きさは、8月25日にオランダで精神分析医ジークムント・フロイト(1856~1939)のもとを訪れ、診断を請うた事実からも伝わってこよう。そこで得た所見により精神状態を好転させると、9月には第8交響曲のミュンヘンにおける初演を自らの指揮で大成功に導き、続く秋からのシーズンはニューヨーク・フィルと精力的な演奏活動にも乗り出したマーラー。しかし年末には病魔が発覚してしまう。」(曲目解説)
最愛の妻:アルマは、マーラーにとっては霊感の泉だった。
彼女がいなければ、「アダージェット」も生まれていなかったのである(楽譜の解釈(4))。
ところが、そのアルマの不倫が発覚し、何とか解決したかと思いきや、マーラーは死の病を得た。
「第4楽章 スケルツォ/アレグロ・ペザンテ、速すぎずに パーティセルの冒頭には「悪魔が私を踊りに誘う」で始まる一連の自虐的な言葉が記されており、マーラーの精神状態をうかがわせる。
・・・音勢を減じたコーダをしめくくるのは軍楽隊用大太鼓の強打。該当箇所のパーティセルにマーラーは「その意味はお前だけが知っている」と記し、「さようなら、私の竪琴、ああ! ああ!」と悲痛な調子の言葉を続けている。1907年の暮れから翌年にかけて滞在したニューヨークでマーラー夫妻が耳にした葬列の太鼓が直接的なモチーフとされるが、ショッキングな打撃音に秘められた意味は明らかだろう。
第5楽章 フィナーレ 序奏部(遅く、重々しく)では軍隊用大太鼓が鳴り響く中、第3楽章に由来する警句的なモチーフが断続的に登場。
第5楽章 フィナーレ 序奏部(遅く、重々しく)では軍隊用大太鼓が鳴り響く中、第3楽章に由来する警句的なモチーフが断続的に登場。
・・・音楽が平静を取り戻すと、序奏部の主題が感情的な高揚と沈静を経た後、澄んだ響きの中に安息感を漂わすコーダへと流れ込む。それが終結点に達しようかというところでヴァイオリンとヴィオラが奏でるのは、唐突なクレッシェンドを伴う、1オクターヴ半にもおよぶ幅広いグリッサンドの上昇音形。そして付点音符を含む下降音形がゆっくりとした足取りで全曲の幕切れを導く。これに該当する部分のパーティセルにマーラーが妻の愛称を用いて記した言葉は、「アルムシ、お前のために生き、お前のために死ぬ」というものだった。」
「太鼓の音」=「アルマの不貞」という解釈で良さそうだが、これは死の宣告のようにも聴こえる。
この曲を理解するためには、「お前のために生き、お前のために死ぬ」という彼の心理に肉薄出来ることが必要だろう。
なので、若い指揮者であれば、マーラーは、
「No、それはまだ貴方には振れません。貴方はまだ若すぎます。」
と言ったかもしれない。
ところが、幸いにもインバルは、人生の酸い味甘いも噛み分ける、88歳の大ヴェテランなのである。