Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

普遍的なテーマ

2024年02月07日 06時30分00秒 | Weblog
 「「俳優の目的は人間をつくること」・・・・・・。
 17期生の修了公演に、思い切ってテネシー・ウィリアムズの小品戯曲を選びました。
 それはひとえに、俳優にとって基本中の基本であり、同時に究極の”使命”である「人間を生み出す」ということに、真正面から取り組んでほしいと思ったからです。
 テネシー戯曲に描かれた、時代も国も生活習慣も違う人間たちに、その幾重にも重なった心のひだを持つ魅力的な人間たちに、自分の心と身体のすべてで向き合ってほしいと思ったのです。」(演出・演劇研修所長 宮田慶子氏)

 題材の選び方には納得がいくけれども、「時代も国も生活習慣も違う」というところを強調するのであれば、方向性が間違っているということになるだろう。
 というのも、テネシー・ウィリアムズほど普遍的なテーマ、要するに「人間の本質的孤独」を執拗に取り上げた戯曲作家は珍しいからである。
 したがって、アメリカの特殊な宗教的風土(ピューリタニズムなど)や生活習慣など知らなくても彼の作品は十分理解出来るし、現代の日本人の感性を活かして演じることは可能なはずなのだ。
 もっとも、実質的な処女作であり半ば自叙伝でもある「ガラスの動物園」くらいは読んでおく必要があるし(不死鳥とアダルトチルドレンと棺桶からの脱出(1))、多くの場合において、主人公はローラのように「生き辛さ」(つまり発達障害的な傾向)を抱えた人物であることを押さえておくと分かりやすい。

①『坊やのお馬』
ムーニー「おれはひとと物の見方がちがうんだ---(理屈をつけようと努力しながら)---それだけさ。ほかのやつらは---おまえも知ってるだろう―全然かまっちゃいねえんだ。食って飲んで女と寝る。なんにも知っちゃいねえ。朝になりゃ太陽はのぼる、土曜の晩にゃ給料がはいる---やつらはそれで御機嫌だ!よろしい!ところがそのうちおっぽり出されてみろ。どうなるね?子どもは育ちざかり、やがてはおやじと入れかわりに工場づとめ。こいつもやっぱり、食って飲んで女と寝て---土曜の晩にゃ給料もらって!ところがおれはな---(にがにがしげな笑い)いいか、ジェーン、おれはそれじゃ満足できねえんだ!」(p12)

②『踏みにじられたペチュニア事件』
若い男「死んだ人たちは最上の助言を与えてくれるからです。
ドロシィ「助言て、なんの?
若い男「生きている人のいろんな問題についてです。
ドロシィ「どんなことをいってくれるかしら?
若い男「ただひとこと---生きよ!
ドロシィ「生きよ?
若い男「そう、生きよ、生きよ、生きよ!彼らが知っているのは、これだけです・・・・・・これだけが彼らに残された言葉なのです!」(p67)

③『ロング・グッドバイ』
ジョー「・・・おれたちは、いつもいつも、さよならをいってるんだ---生きている時間の一瞬一刻にむかってね!それが人生と言うものさ---ながい、ながい、さようなら!(ほとんど泣かんばかりに、激しく)今日もさよなら、明日もさよなら---最後のさよならをいうまでは!なあ、シルヴァ、その最後のやつっていうのは、世のなかに対する、自分自身に対する、さよならなんだよ!(彼はたまらなくなって顔を窓のほうにそむける)出ていってくれ、おれを一人にしてくれ!」(p324)

 ・・・こんな風に、現代の日本人にも通用するテーマが繰り返し登場する。 
 なので、わざわざ”アメリカ人風に”大げさな言葉遣いやジェスチャーを使う必要などないはずなのだ。
 実際、その見本を、一昨年、フランス人であるイザベル・ユペールたちが「ガラスの動物園」で実演して見せてくれたじゃないか!
コメント
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