「・・・先ず第一に、Heleneのジェネアロジクな位置づけは極めて現実離れした、ありえないものにされる。Menelaos は何故Heleneとの結合を重視するのか、Achaioi 全体が何故Heleneを奪取されることをこれほど致命的と考えるのか、人々が何故Helene一人を巡ってこれほど争うのか、単純には理解できないように仕組まれている。第二にそのHelene自身、特定のジェネアロジクなパラデイクマによる自己決定を徹底的に避けているように思われる。Parisに従うか、Menelaos のところへ戻るか、彼女自身の態度表明はもちろん存在しないが、それは彼女が受け身の姿勢に終始するからではない。Homeros はあえて彼女に、双方がとことん戦うべきであると考えさせる。これにより彼女はどちらにも加担しない自由を獲得する。それをはっきり自覚したあらゆる非難を突っぱね、自分を貫こうとする。第三に、特にParis側のヴァージョンを拒否する姿勢は、そのヴァージョンを体現して現れる女神Aphroditeに対するHeleneの断固たる反発に如実に現われる。Heleneは自己の原理をAphroditeのそれに対置してついに後者の怒りを買う。第四に、HeleneはParisが一方のヴァージョンを担ってとことん自分を求めるそうした決然たる態度に欠けていることに不満を持っている。第五に、Heleneは、この戦いのジェネアロジクなレベルの意義の馬鹿馬鹿しさを最も感じつつ責任感からのみ戦うHector の自己に対する批判に応えて、戦うならば他人の責任にせず自分に従ってのみ戦うように言って切り返す。その場面では自分の立場、そして自分のような立場、が持つ新しいパラデイクマとしての意義を十分に自覚している。」(p169~170)
長々と引用してしまったが、「イリアス」最大の謎ともいうべき、ヘレネ(エレーヌ)の位置づけないし行動原理が完璧に明らかにされている。
私見では、ここを押さえてしまえば、「イリアス」は格段に分かりやすくなると思う。
木庭先生によれば、「神によって動かされ、愛欲に目がくらんだ自由意志なき女」というありきたりの解釈は排斥すべきものである。
かくして、古代ギリシャ史の泰斗であるモーゼス・フィンリーですら、「Helene像を矮小化してしまう」として批判される。
・・・だが、専門家ですら誤解に陥ってしまうような難しい位置づけないし行動原理を、オッフェンバックに理解してもらうというのは、そもそも無理だったように思える。
ましてや、日本の一般のオペラ鑑賞者が、このあたりまで理解しているということは、とても期待できないことだろう。
というわけで、エレーヌはなかなか理解されないままなのかもしれない。
可哀想なエレーヌ!