パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

本の値段と共時性(カラマーゾフの兄弟)

2019年04月01日 08時32分30秒 | Weblog

近場の桜の名所、新城桜淵公園へ歩いて行ってきた(昨日の日曜日)
自宅から往復で2.5キロ位で運動にもならない距離だが、少しづつ楽したい気持ちも芽生えてくる
でも駐車場代がもったいないという現実的な理由が、最近家計簿をつけてるので気になって仕方ない
晴れてると思いきや急に曇ったり、パラパラしたりの変な天気で、公園の滞在時間はほんの少しだけだった

桜の満開はまだまだで、今週末にいろんなイベントを企画している人たちは一安心といったところ

花より団子というものの、花がないと馬鹿騒ぎする気分になれないかもしれない
この日は宴会をしてるグループは少なかった
橋を渡りながら自分が小学生の頃は渡し船があって、高校野球のラジオ放送が流れて
何かしらウキウキしていたことを思い出した

見慣れた景色は余り驚くことがなく、結局は行っただけ、ウォーキングしただけに終わってしまった
でも日に一回くらいは何かに驚くことがあるようで、昨日軽いショックを覚えたのはこの本の価格


500ページの文庫本が400円
昭和56年5月15日 7印 とある
なんと安いことか、、その当時の他の物価と比較すると必ずしも安くはないかもしれないが
それでもこの数字は、単純に驚く

そしてもう一つ驚いたのは、この濃厚な小説、誰もが喋りまくるような重層的な小説が
実は短い章のいくつかに分かれていて、案外読みやすいかもしれないと思えたこと
ページ全体に段落もなく活字が埋まっているのはパッと見てうんざりするが
読み始めると思いの外今の頭の中にはすんなり入っていくのは意外だった

カラマーゾフの兄弟は演劇でも映画でも見たことがある
演劇は豊橋で行われたが、確か浜畑賢吉が出ていたくらいのことしか覚えていない
映画は大学時代の学園祭か何かで見たような、、、
これも覚えているのはイワンが幻想のなかで悪魔と対話するシーンと雪深いロシアの風景くらいなもので
昔の記憶はしっかりしているというパターンからすっかり外れている

この本を引っ張り出して再読しようとしたら、偶然見かけた昨日のパネルクイズアタック25で
「ドミートリイ・イワン・アリョーシャの登場する小説はなにか?」
との問があって、その偶然の一致にこれまた驚いた(答えはカラマーゾフの兄弟)
時々経験する共時性(シンクロニシティ)のパターンで、これはもう再読するしかないだろう

「失われた時を求めて」に挑戦したときも、このような共時性によるきっかけがあった
しばらくの間ハマった感のある源氏物語の世界から、ようやく離れるきっかけになれるかも
(近々宇治にいく予定をしているが)

 

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判断基準としての理性と感情

2019年03月24日 08時50分34秒 | Weblog

日曜の朝らしくない変な思いつき

「理性は感情の奴隷である」との知る人ぞ知る少しばかり有名な言葉がある
スコットランドの哲学者デイヴィット・ヒュームの評判の良くない言葉だが
ある種の人々には当然の事のように思われていると思われる
(ある種の人々とは?)

ミステリー小説のブラウン神父でお馴染みの作家・批評家・詩人・随筆家のチェスタトンは狂人について、
「狂人のことを理性を失った人と言うのは誤解を招く。狂人とは理性を失った人ではない。
狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」
との言葉を残している

2つの一見関係ないような言葉だが、ある種の人々には同じことを表現していると感じる
それは「理性の限界」について述べていること
(「理性の限界」という高橋昌一郎の本があってとても面白い本だが、少し違うニュアンスの内容)
人が万物の霊長として君臨できているのは「理性」のおかげと考えられることが多く
それ故に人の判断は「理性的」であれとされる
ところが人には厄介な「感情」というものが備わっている
この感情が物事を判断する時に大きな力を発揮しだす
理性では(知恵の集積の結果として)こうすべき出る答えを感情が受け付けなくなってしまうことがある
ここで理性と感情が喧嘩をすると、、勝利をおさめるのは、、多くの場合感情の方

ただ感情は後で分かることだが良いことばかりでなく多くの間違いも起こす(間違いの判断もする)
その最たるものは犯罪とか、より社会的な規模ではポピュリズムが挙げられる
勢いとかその時の雰囲気に感情が飲み込まれてしまった失敗は、人は嫌というほど経験している
それ故により失敗の少ない理性を感情に先立って優先させようとするのは無理からぬ成り行き
しかしここで問題は、人間はなかなかそうあるべき姿に簡単に従えないという現実
それは良いと悪いというのではなく、人にはそういう傾向があるということ

一人ひとり全く違う感情(意識)というのもが人に備わっている理由は何故か
と考えると、その方が生物学的に生き延びる可能性が高いからとも考えられる(個人的には思う)
みんなが同じ方向を持つより、生物が突然変異を起こしてある種の環境変化に対応して
生き延びる可能性を確保していくのと同様に、人の呆れるほどの多くの感情はそれがある方が
生き延びる可能性が高いから、、、と思われるのだ
それは間違いを起こしたとしてもその方が生き伸びる可能性が高いと(誰かが?)判断しているような、、

残念ながら人は抽象化された理想・あるべき姿を求めて生きられるのではない
むしろそうしたことを面倒と思うほうが多い
でも何故かそういうボーッと生きてるような人たち(自分も含めて)が
感情に沿ってなにか変だとか、これが良さそうと判断することは
理性の厳格な定義付けから導かれるものよりはしっくり来ることがあるし
長い間ではその力が社会をつくってきたように思われる
そこには深い洞察力をもった粘り強い感情と理性の関係について考え抜いた人の存在があると思われるが
要は、感情を無視して適切な判断はできないだろうな、、ということ

最近、裁判とかある種の議論に参加する機会があり、因果関係の整合性とか論点整理の単純化で
どこ感情が置いてけぼりにされてるような気がしたので、少しばかりグダグダと愚痴ってみた
相わからずまとまらない話、、

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本を読み返すということ(節約になるし、、、)

2019年03月14日 09時36分58秒 | Weblog

行きの道は長く感じるが帰りの道は短く感じられる
誰しもが経験することで、これは心理学的な説明がなされるようだ
これと似た感じなのが本を読み返すときのこと
小難しい本で理解できているかどうか怪しくてもとりあえず進んだページを
時間が経った後読み返すとスラスラと読める
しかも理解していないと思えたことが思いの外頭に入っていたのだとも感じる

昨日、思い立って「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム)を付箋を付けてあるところを読み直した
好みの部分が付箋がつけられているとは言え、その部分の理解がとても容易で
これは想像力を駆使して読んでいると言うよりは明らかに再確認しているような行為に近い

楽に理解できるからこれが面白い
「自由からの逃走」は「から」という部分が肝で、近代人が目指した崇高なもの
せっかく手に入れた「自由」から逃走してしまう傾向がある、、ということを解説した本
この本のきっかけはナチが合法的に躍進したのは何故か、人には個々の判断を超えて
なにか従ってしまう傾向があるのではないか(その方が楽だから)と考える傾向があると思いついたから(らしい)

これは実生活上の様々なところで見られそうだと、読んでいて想像が働くので小難しい話の割にはリアルな話となっている

ということで、「自由からの逃走」「善と悪の経済学」(トーマス・ゼドラチェク)
「経済と人類の一万年史から21世紀を世界を考える」(ダニエル・コーエン)など以前読んで気になっていた本を
を読み返すことにしようかな、、と思う次第
(本を買うお金を節約できるし、理解も深まるし)

 

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ストーリー以外で気になること(源氏物語で)

2019年02月23日 08時36分22秒 | Weblog

現代語訳の源氏物語を楽しんでいるが、当たり前だが現代と随分違っていることが多い
まずは結婚の形式としては、通婚(かよいこん)
これはある程度知られた話だが、それに至る過程がなかなか面白い
女性は昼中に自分の姿を見られることを良しとしない(御簾で隠している)
ちらっと見た男は、歌を詠んで女性に渡す(周辺の女性を通じて)
歌を渡された女性は返事をする(本人の場合と周辺の女性が代わりに詠うこともあり)
そうしてやり取りをした後、合意すればことに至る
その行為は随分暗いところでなされるようで、明るくなってよく顔を見たら
案外、、、だったなどという記述がある(末摘花・夕顔)

しかし、順調に行くときばかりではなくて、これが小説の中だけのことなのか
実際によくあったのか知らないが半ば強姦のようなことが行われる
(これが後半の悲劇的な物語のきっかけにもなるが)
ことに至った後、薄暗いうちに男は女の家から出ることになるが、それからも
歌を送る続けるのが常識とされているようだ
つまりは歌の素養・センスが無いとなかなか好ましい結果には至ることができない
(この選別の方法は、当てが外れる事のない様にするためには現実的な方法かもしれない)

光源氏といえば浮気とかプレイボーイの代表とされるが
この時期はイスラム諸国に見られるような一夫多妻制で、ここが光源氏の偉いところだが
関係のあった女性にはみんなそれなりの対応をしている
よく見たらちょっとブスだった末散花、歳を重ねて魅力が無くなってきたが日常生活の
知恵とか技術がしっかりしていて気が楽な花散里
浮気相手(明石の上)の子供を我が子のように可愛がる紫の上、、、
それそれが嫉妬心を抱えながらも仕方ないと諦めて暮らす
中には嫉妬から逃れられずに怨霊となった六条の御息所もいたが、これは小説的な登場人物

最初はこのようなことが気になっていたが、そのうち別のことが気になりだした
一つは度々登場する「宿命」という言葉
誰かと誰かが結ばれるもの、好ましくない運命に至るもの「縁」と言われるものから結果で
「宿命」は仕方ない、、という考え方
これは仏教的な考え方かもしれないが、どうやらこの時代は想像以上に仏教が大きな力を持っていたようだ
出家をした人(藤壺、朱雀院)したがる人(光源氏・紫の上)など、終活は仏教というところなのだろうか

またこの時代は医学・科学が進んでいないので、体調を崩した人には加持祈祷で平癒を期待するようだ
そんなもの当てにならない、、というのが現代人の発想(ドーキンスは祈りなど全く意味がないとしている)だが、
あの時代は真剣に効果があると思われていたのかもしれない
(加持祈祷が頻繁に行われていた様子は枕草子にも書かれていた、その中で読経をする人がイケメンだと嬉しいとか
 途中で眠くなって船を漕いでる人がいるとか、そんなエピソードの章がある)
話は飛ぶが雨乞いの祈祷で効果があったのは空海と安倍晴明の二人だったとの説もある

こうした生活感の違いが面白いが、物語の中盤を過ぎて性格描写が多くなって感情移入しやすくなった
源氏物語は、女性の書いた物語だな、、と感じる
それは諸田玲子の「姦婦にあらず」を読んだときも不意に襲ってきた感覚だが、髙樹のぶ子の作品でも
そんなふうに感じることがある
(反対に男っぽいなと言うのは小説ではないが音楽でアントン・ブルックナーの作品が挙げられる
 これは男しかわからない世界に違いないと何時も思ってしまう)

他にもいろいろ気づく点があって思いの外楽しめている状況
全部読み終えたら解説本でおさらいをして、それからこの時代の歴史の本を読むとすんなり頭に入っていくかもしれない

それにしても、この時代の人はすぐ泣く  
男は泣いちゃいけない、、となったのは、いつ頃からなんだろうか、、と気になりだした



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公平なんだろうか(選挙の視点で考えると)

2019年02月15日 08時28分03秒 | Weblog

偏屈で独断的な思い(気になって仕方ないので)

韓非子か何かの本で今でも記憶に残っていることがある
それは部下に報奨を与える場合、気をつけなければいけないのは
その報奨を授ける判断をした人物よりは、報奨を実際に手渡す役割の人物に
忠誠心が働くようになることが多いのが人間というものという観察眼

なるほど、これは何となく分かる
商売上で本来感謝すべきは消費者であるのに、現実は自分の出世の立場を握る
上司のご機嫌取りが個人にとって最重要事項になっていくことを連想させる
最近良く見かけられる官僚さんたちのみっともない忖度や承知の上のミスも
自分の直属の意向を反映しようとする意識の現れ
それに加えて現代の人間はお金に弱い面がある
雇用関係とか売買においても、契約上では両者が平等とされているものの
現実にはお金を払うほうが強い立場になって、それを両者平等といって
大きな態度をとるのは世間的には疎まれやすい

結局のところ、ひとは自分にお金を払ってくれる人には弱い

こういうことがあるから選挙ではお金で票を買ってはいけないとされる
ところが、そこで最近気になって仕方ないのが、これを合法的にクリアする方法が
有りはしないかということ(特に現職が絡む場合)

ある地方都市では、〇〇会議と言われる実際には市民が何をしているか
よくわからない会議がいくつも存在する(市長の諮問機関としてあるいは補助機関として)
その会議の存在理由はそれなりの理由が付けられているが、その会議がその存在理由を
果たすべく機能しているかと言えば、それはかなり怪しい(市民はその存在も会議の内容も知らない)
ここで問題はこの会議に参加する人には報酬が支払われる点だ(会議はいろいろあってメンバーの数は少なくない)
確かに個人の時間を潰し知恵を借りることになるのだから報酬は当然だとも考えられぬこともない
しかしこれが選挙に結びついていくと想像する少々話はややこしいことになる

選挙において、現職対新人候補との首長の戦いになると
〇〇会議のメンバーは既にいくらかの報奨を現職の首長から受け取っている
(実際には首長からではないが、首長の判断で出ていると思うひとがいても不思議ではない
 韓非子の例のように)
つまりは借りができていると感じやすい(可能性がある)
そういう人が選挙の投票を行う場合、果たして情を切り離した判断ができるか、、が
少し疑問に思えて仕方ない
(しかも〇〇会議に出席し報酬を得る人は少ない数とは言えない)
偏屈・独断を言えば、合法的な選挙に対する金銭授受が行われていると見えないだろうか

ところで、こうした〇〇会議の評価は、行政改革発表会でコストベネフィット分析に基づいて
数字的(金額的)な効果を明らかにすべしと提言された
だが数字に現れない(表しにくい)効果があったものと考えられます、、と
悪気はない行政は定番の答えを繰り返す

正直なところ、この〇〇会議(の一例)を覗いたことがあるが、
これがとても建設的な意味あるものとは残念ながら評価しにくかった
ある指定された日に集まって、メンバーがそれぞれの思いついたことを適当に話してるだけという印象
仮にテーマが難しいならば、各人がその分野の知識を得るための努力とか
日を開けずに集中的に会議を開いて共通認識のレベルを挙げていくことが望まれるが
実際はステップを踏んでいるだけ、、という感じだった

当たり前のように感じるいろんなことが、実は案外不公平だな、、と感じたということ
それにしても権力を持ったものは強い  国も地方も、、
その弊害が、現れつつあるのが現代
さて庶民はどうするか、、、、




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罰を受けていないことは、違反していないことにはならないのに、、

2019年02月14日 20時01分08秒 | Weblog

議員さんと言われる立場の人は選挙区内の人に年賀状を出してはいけないと
公職選挙法にあるそうだ
一般の人はそんな細かいことは知らないので、議員さんからも年賀状が来るのは
当たり前と思ったり、来なかったらお高く止まってるとか、付き合いの悪いやつだ
とも思いを持ってしまうかもしれない
そのくらいのことだからと言うのでもないだろうが、この年賀状の違反については
結果的に大甘の対応(何も罰されることはない)となるのが普通らしいとか

以前、市内のある議員が公職選挙法で禁止されている戸別訪問を行ったとされることがあった
これは、たまたまある会場で議員さん本人もその行為を認めていた
しかし、これでその議員さんがなにか罰則を受けたかと言えば、、何もない
戸別訪問の違反を確定するには、何月何日何時頃来てどんな話をしたのか、、
その録音や録画があるか等の証拠が必要で、その上で細かな手続きがあって
時間もかかるので訴える方も面倒になってしまい、、禁止されていると法律にはあっても
ザル法の類となってしまうのだそうだ

戸別訪問を選挙期日近くにしてるじゃないか、、と思うことがあったが
それは「後援会の加入」への働きかけで、投票への依頼ではないので
許されているのだとか
でも現実にはその訪問は何を意味しているかは、誰にでもわかる
このあたりは法律とは、随分実態を反映しない言葉遊びのようだ

国会でも問題になっているが「なになにできる」という法律文は文字通り「できる」ということで、
強制力を持つかどうかは、よくわからないことが多いようだ
この「できる規定」の、その解釈を巡って少しばかり揉めたことが、自分たちの市民運動の活動の中にもあった
「できる」と同様に「してはならない」という文章も現実的にはかなり曖昧なことが多い
数年前のリコール運動の時のことだ、署名簿は閲覧期間が設けられ誰もが確認できることになっていた
その目的は署名したにもかかわらず不可と判断されていることへのチェックとか
署名した覚えが無いのにもかかわらず自分の署名があるとか、そうしたことの確認のための閲覧で
この閲覧は、こうした目的以外に使用してはならない、と法律には書かれていた

ところが、この地区のみならずリコール運動を起こした場合には、「署名は見られます」
との脅しが威力を発揮する
署名していることを確認した他人が、その署名の行為に対して何やら文句を言ったり、脅しともとられる
発言を行うのは「いけない」とされている
だが、この決まりを破った場合、、つまり、確認のための署名閲覧ではなく別の目的のための閲覧をして
実際になにか行動をしたとしても、実は罰則はないのだ
だから、「してはいけない」と書かれていても、実際にはその効力はない

問題は、できるとか、してはならない、、ということについて、その運用の実態を知っている人は
その知恵を使って、なにか悪いことを、、合法的にできそうという点だ
合法的というよりは罰せられずに、、と言ったほうが正確だが、こういう行為を行う人は
罰せられていないから法には抵触していないくらいのことは言うだろう

法に詳しいということは、法を守るということにならずに、法の隙間・不備をついて
社会的には変でも自分の都合の良いようにできてしまう可能性がある
そしてこの実感が、大人の知恵として「世の中はこんなもん、、」というのは少しばかり寂しい



 

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みんなと同じという安心感?

2019年02月10日 10時43分33秒 | Weblog

テレビ番組は何故どこの局でも同じようなニュースを同じ時刻に流しているのだろう
と思うことがある
最近では野田市の小学生の虐待死の事件で、児童相談所等の不手際が報道されているが
連日の報道でおおよそのことは理解できているつもりだ
だからそのニュースが始まると(辛いニュースというせいもあるが)チャンネルを変えると
そこでも同じニュースをしている
再びチャンネルを変えると、またもや同じニュースが報道されている

少し前は煽り運転の動画が同じ時刻に多くのテレビ局で使用されていた
そしてその報道のトーンは、どの局も似たような姿勢大きな違いはない
またその前には韓国のレーダー照射騒動で、これまた同じ時刻に同じような内容の報道だった

そしてそれぞれのニュースが別の時刻の番組で扱われると、専門家と言われる人々が
局のはしごで、当たり前だが同じことを繰り返し説明している

テレビ局は視聴率競争をしている現実がある
にもかかわらず、同じような報道(番組)をつくって平気でいられるかが正直わからない

テレビ局は独自な視点を持つことは無いのだろうか
例えば児童相談所・教育委員会・学校の対応の不味さを問うだけでなく
自分の子供に対する暴力が多いのは何故か?(尊属殺人は最近多いのか?)
それは最近のことなのか?それとも昔からあったことなのか?
無条件に子供をかわいいものとする親の気持ちが、最近はそうではなくなってきているのか?
それは社会的な影響があるのか?(もしかしたら生物学的な視点からもヒントがあるかもしれない)
との視点で、報道する気は無いのだろうか

煽り運転にしても、車に乗ると人格が変わってしまう人がいるが何故か
すぐにキレてしまうのは何故か?
そういう人が最近多くなっていないか?
カッカしないためには人は何をすべきか(心の持ち方と社会環境)
残念ながらそうした視点で話は聞いたことがない

テレビ局は視聴率競争をしているというものの、自ら独自の視点をもち独自の報道を
することを怖れていないか、、
これは多くの仲間の中のひとりとして安心したいという、日本人によく見られる傾向の一つなのか

人と変わった視点・考え・行動をする
するとどこかに摩擦が起きる
そんなことは当たり前でその上でどこか妥協点とか同意点、あるいは異なる考えに対する理解が
深まると思われるが、この過程を最近の人は面倒と感じやすくなっていないか

多くの中のひとりとしての存在で安心する
ある時期所有しているもの(購入したもの)で自分を表現しているとの考えがブームになった
都会風の洗練されたグッズを所有し、評判の店舗で購入することが感度の高い人物とされた
実際はそんなことはありえず、単にプロモーションに載せられたに過ぎない(ことが多い)

皆が読んでいる本を読み、みんなが見ている映画を見る
そしてそれをSNSで拡散する
皆が注目している食品をその場所で食べ、写真に撮る
こうして自己承認欲求を満たすと同時に、自分はみんなと同じだと確認し安心する

多くの中にいる自分に対する安心と、そこから離れてしまうことへの不安
この心的なものが、どこの局を見ても同じ報道がなされる理由の一つとして存在しないか
(報道の現場では他社を出し抜くより、記者クラブで仲間はずれにされない方が
 大事なことと思われているそうだ)

こうした傾向は日本人によく見られる傾向なのか
それとも最近の事柄なのか
昔、女子高生に向けて思いついた皮肉を込めたフレーズにこんなのがある
「みんなと同じ、、ダサーい。みんなと違う、、こわ~い」

テレビ局も世間の人も同じなのかもしれない
内閣支持率でも大勢に所属していることで安心したい誘惑からは逃れられないのかも
人と違うということは、度胸も覚悟もいるからな、、、
(そんなのはそのうち慣れるのに)

連休中の暇に任せて、、あれこれどうでもいいこと


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アマゾン(AI)では予想できないだろうな!

2019年01月16日 09時25分20秒 | Weblog

アマゾン(AI?)はとても賢くて、次に読みたくなる本をおすすめ本としてどんどん提示してくる
その一つ一つが的確で少しばかり悔しくなるが、参考になる面もある
先日こうした機能(AIによる)本の選択をしていると、考える癖、探す癖、
本との偶然の出会いを大切にする経験を失って自分が選んでいるにもかかわらず
実は何かにコントロールされているような状況になる危険性を説いていた記事があった

確かにアマゾン(AI)は賢いが、これは気づかないだろうな、、と思ったことがあった
山道ではないがお正月のウォーキングしていたときのこと
あれこれ連想が頭に浮かんで、自分自身と会話しているような状況になった時
急に夏目漱石の「草枕」の冒頭が思い浮かんだ
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。、、、、」
現実的な世間知だ。その先がどうだったか気になる
おまけに「草枕」はグレン・グールドが好きだったされているし、一体どんな内容なのだろうか、、

ということで、今度は近いうちに「草枕」を読んでみようという気になった
iPadの青空文庫にダウンロードしたが、どうもじっくり読むにはディスプレイ画面はしんどい
そこで図書館に行って借りることにした

読み始めると、少し驚いた
これがなかなか面白い
現実的な誰かと誰かの物語というのではなく、心象風景を語るようで、それが個人的な好みで
嬉しくなって、どんどん前に進むのがもったいなくなって、読めないでいることに満足感を
覚えるようになっていた(本当に良い本に出会うと、自分はこういう気持ちになることが多い)

で、アマゾン(AI)は予想できないだろうな、、という話につながるが
この本を読んでいて、次に読んでみようかな、、と思いついたのは
「こころ」とか「それから」とか「明暗」ではなく、
サルトルの「嘔吐」とかトーマス・マンの「魔の山」だった
アマゾン(AI)は自信たっぷりに前者の本たちをラインナップするだろうが
全く関係のなさそうな「嘔吐」とか「魔の山」はきっと提示しないだろう

「草枕」と「嘔吐」「魔の山」との関連性は、自分の頭の中では存在する
それは現実的な話ではなく、頭の中で起きていることをダラダラと書いている点だ
そう感じるのは自分の読書体験からくるもので、アマゾン(AI)にはこちらの内的な事情は
想像する手立てがない
だから「草枕」と「嘔吐」「魔の山」との関連性は結び付けられない(きっと)

しかしだからといって次に「嘔吐」や「魔の山」を実際に読むかといえば、
年齢的な気力の問題があって、そうはいかないかもしれないという気がしてくる

そのうちに、やっぱり「源氏物語」を読んどかなきゃいかんかな、、、との気持ちにもなってきた
これなんかもアマゾン(AI)は想像できないだろうな
人間様の気まぐれ、、、
脳のニューロンの微弱な電気のやり取りで何かを感じているのはわかっても
その具体的な内容まではわからない、、

ところで、改めて夏目漱石はすごいな、、と思ったのも事実
しかし脚注がないとわからない事が多くて閉口する
あの時代では普通に理解されていたのだとすると、、随分時代がかわったのか
それとも最近の人間の読解力が低下してきているのか、、、




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嫌悪感を煽ってどうする!

2019年01月11日 14時59分58秒 | Weblog

たまたま目にしたテレビの昼のワイドショー
とても嫌な気分になった
元徴用工の件での日韓のゴタゴタを日本側サイドの視点で専門家(?)を交えて解説していた
それは1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している
この二国間の協定は国際法的にも国内法よりも上位で、それ故
韓国の対応は常識はずれとのトーンで話していた

だが、韓国は日本はこの理屈で反論してくると容易に想像できるにもかかわらず
日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していないとしている
これは何らかの根拠があってのことに違いないと思えるが
仮にそれがこじつけであったとしても、専門家は韓国がどういう理屈をつけてくるかを予想して
解説するのが冷静なテレビ番組と思えるのだが、公平・中立なテレビがなにやら嫌悪感を煽るような
放送を意図的か無意識的か行っているようにみえる

このあとの話題がまたいけない
中国の少しみっともない話だ
特急列車の中、指定席券を持っていない人物が寝転んで、本来の人間が座ろうとしても座れなくなり
警察が退くように言っても聞かずに揉めているという画面が何度も繰り返される

この2つの報道を続けてみると、知らず知らず韓国は理不尽でひどい、
中国は市民の程度が低いとの思いを視聴者にもたらすことにならないだろうか(嫌韓・嫌中に繋がりそうな)
最初の徴用工の話題は少し仕方がないとしても、中国のこの話題はわざわざ報道する必要があるのだろうか

反対に中国の報道で、日本で問題になっている煽り運転の動画や
新宿のチーズドックの食べかけのゴミを所構わず捨ててるところや
日本を代表する企業が不正なデータをあちらもこちらの出しているさまを報道したならば
日本という国は思ってたよりもひどいな、、、
との印象を与えるに違いない
要は、これらのニュースをわざわざ流す必然性があるかということ

あいつらはひどいと煽るよりも、どの国も同じだな(子どもに対する思いとか親に対する思いとか)と
感じさせるような報道のほうが、最近のギスギスした世界においては必要なんじゃないのか
テレビ局が近隣諸国への嫌悪感を煽るようなところは、戦前の新聞記事を連想させる
みんな「正気にもどれ!」と言いたい気分

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まとまらない連想(行き着いた人間のあるべき姿はしんどそう)

2019年01月09日 08時34分51秒 | Weblog

本を読んでも自慢じゃないがすぐ忘れてしまう
そうならない方法は感想を述べあい、アウトプットすることらしい
なるほど確かに誰かに説明すると自ずと頭の中が整理されていく実感はある

最近手にした「欲望の資本主義」2 闇の力が目覚める時 のなかの
コーエン氏の章に「全員が芸術家のように生きなければならない社会の到来」というのがある
仕事を奪われる恐怖をもって迎えられているコンピュータ時代において代替えされないのは
非ルーティンワークだけで、求められる人間は自己責任のもと自己判断を行う
皆芸術家のようにならなければならないとされる
つまり常に自己改革をする人間たちというのだ(彼はこれを推奨しているわけじゃなく可能性を述べているだけだが)
しかし続いてフロイトの「芸術家のように生きるのは不可能だ。自分の人生を芸術家のような
人生にしてはいけない。なぜなら芸術家は不幸だからだ。芸術家はいつも創造性の欠如への恐怖にさらされている」
こんなことがサラッと書かれていたが、ここでいろいろ連想が羽ばたく

マズローの欲求の5段階説が頭に浮かんだ
人間は生理的欲求、安全の欲求・社会的欲求・承認の欲求・自己実現欲求へと段階的に
高次の欲求に上がっていくという仮説だ
これが仮に正しいとするならば、いろいろ問題はあるだろうが現在の社会は最後の段階
自己実現欲求の段階まで来つつあるのではないか、、とも考えられる

まだしっかり読んでないので間違っているかもしれないがハンナ・アーレントの「人間の条件」には
人間の行動を「労働・仕事・活動」の3つに区別し、高次なものはこのうちの「活動」とされている
(政治的な行動がそれに該当するとされている)
高次なものは必然個々の判断力に委ねられる

ここで問題なのは、人としての到達点の理想という形ではマズローとかハンナの言うような
ものが望ましいかもしれないが、果たして人はその責任の重さに耐えうるのかと言う点だ
フロイトの言うように、そのような生き方は不幸ではないか、、
との思いが自分にも思い浮かぶ

何もかも自分の責任においてすることができる(常識的な範囲内で)
それが理想的な姿
でも、全てが自分の責任の名で行い、失敗したらこれも全部自分が責任を負うとすれば
ひとはその重さを避けてしまいたいのではないか

自由を求めているが、思いっきり責任を伴うような判断はとてもかなわん
自由に何でもできるが、何をするのか自分で考えなくちゃならないのは面倒でかなわん
(リタイア組の時間の使い方など)
誰かが適度に指示してくれてそれに乗っかるほうが楽でいい、
庶民の感覚はこんなものではないかと横着者が板についている自分は思う
だからこそエーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」という言葉を使い
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」では大審問官の登場となるわけだ

ただ、誰かに責任転嫁したい思いはナチスの行動を黙認、結果的に支持した行動につながる
これもまた事実

自己判断よりも本人に安心を与える世間のそれは、正しい判断をするか、それとも暴走するか、、
気になるところだが、最近なんとなくこの世間のバランスが悪くなっている気がしてならない
この不安はどこから来るのか、、、

資本主義は成長・自己改革を前提にした運動だが、人は案外「安定」昨日と違わない明日
を望んでいるのではないのか、、と思ってしまう

相変わらずのまとまらない話


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