イングランドの幻のゴール
テベスのオフサイド
間違えた言うしかない判定が続いたワールドカップ
そこでまたもや再燃しているのが
ビデオ判定やら審判員の増員
確かに見ている方は間違った判定にカリカリする
しかし、だからといって見ている立場からだけで
正確な判定をするのがサッカーか?
と言えば少し疑問が残る
あのイングランド、試合内容はドイツにしっかり負けていたし
あれが仮に入っても、流れは変わったかもしれないが
勝ちに至るまでの資格はなかった
と多くの人が感じたに違いない
そんなことより、あの試合で一番感じたのは
イングランドの選手の潔さ
判定に言いよる人間もなく
(ハーフタイムにルーニーが少し何か言ってたようだが)
キックオフまで平然と向かった姿にある種の感動を覚えた
「カッコいい!」「男らしい!」
確かにイングランドはあまり判定に文句をつける国ではない
反対にラテン系の人たちは言っても判定は変わらないのに
ぐだぐだという事が多い
イングランドの人たちは審判も人間
間違いを起こすものだ
この間違いもサッカーのうち
と考えているのか
それとも間違えた判定もいつも被害者の立場ばかりではなく
得する立場もいつかあるだろう(あっただろう)
この意味で公平だから、言っても無駄な事はしない
という事なのか
そこで新しい試みについて
間違っているよりは正しい方が良いのは間違いない
しかし、ビデオ判定の中断等で
ゲームの流れが断ち切られたりしたら
それは良い事なのか?
こうした問題の結論を出す際には是非とも
実際にプレーしている選手の意見も聞いてほしいものだ
サッカーは流れがある
耐える時は耐えるしかない
逆に得点されると一気にゲームが動く
こんな意識、気持ちの動きがゲームに反映されるから
面白いのであって
正確を求めるあまりいつも仕切り直しではどうなんだろう?
すくなくとも選手の気持ちには
耳を傾ける必要があるのではないのか
テベスのオフサイド
間違えた言うしかない判定が続いたワールドカップ
そこでまたもや再燃しているのが
ビデオ判定やら審判員の増員
確かに見ている方は間違った判定にカリカリする
しかし、だからといって見ている立場からだけで
正確な判定をするのがサッカーか?
と言えば少し疑問が残る
あのイングランド、試合内容はドイツにしっかり負けていたし
あれが仮に入っても、流れは変わったかもしれないが
勝ちに至るまでの資格はなかった
と多くの人が感じたに違いない
そんなことより、あの試合で一番感じたのは
イングランドの選手の潔さ
判定に言いよる人間もなく
(ハーフタイムにルーニーが少し何か言ってたようだが)
キックオフまで平然と向かった姿にある種の感動を覚えた
「カッコいい!」「男らしい!」
確かにイングランドはあまり判定に文句をつける国ではない
反対にラテン系の人たちは言っても判定は変わらないのに
ぐだぐだという事が多い
イングランドの人たちは審判も人間
間違いを起こすものだ
この間違いもサッカーのうち
と考えているのか
それとも間違えた判定もいつも被害者の立場ばかりではなく
得する立場もいつかあるだろう(あっただろう)
この意味で公平だから、言っても無駄な事はしない
という事なのか
そこで新しい試みについて
間違っているよりは正しい方が良いのは間違いない
しかし、ビデオ判定の中断等で
ゲームの流れが断ち切られたりしたら
それは良い事なのか?
こうした問題の結論を出す際には是非とも
実際にプレーしている選手の意見も聞いてほしいものだ
サッカーは流れがある
耐える時は耐えるしかない
逆に得点されると一気にゲームが動く
こんな意識、気持ちの動きがゲームに反映されるから
面白いのであって
正確を求めるあまりいつも仕切り直しではどうなんだろう?
すくなくとも選手の気持ちには
耳を傾ける必要があるのではないのか