先日、ある商工会議所で中小企業向けの補助金についての話を伺う機会を得た
講演の方曰く、アベノミクス 3本の柱 成長戦略の一つ
日本の企業の90%以上が中小企業で、そこの成長がなければ
日本経済の復活はないとの考えのもと
「補助金」と言う形で応援する予算を組んでいる
とのこと
その多岐にわたる補助金の比較的扱いやすいものを2.3挙げてもらって
エントリーを促されることになるのだが、、、
「補助金」という形は、目的が決まっており(使い道が制限されており)
補助金を得るためには、まず非常に面倒くさい〈周りくどい)申請書を
書かなければならない
終わった後も、税金の使用ということで適切に使われたか
非常に細かな報告書を提出しなければならない
この辺りは、一見当たり前のようの思えるが
現実は、この書類というのが曲者
まず、普通の人には非常に分かりにくい定義付けのもとに
こじつけのような作文ををしなければならない
そのこじつけのような作文を今度は役人が何度もチェックする
報告書も同じ事、正確を期するために何重にもチェック機関を
通過することになる
ここで事務方の人の仕事の煩雑さが窺い知れる
慣れてしまえば大したことないとしても
自分に関与しない部門の文章を読むのは
お役人でもしんどそうだし、まして管轄部署以外の
仕事に関与するのは禁止されているみたい〈?〉で
つまりは、自分のところしか専門職的に処理をするだけとなる
ここで、申請の段階でも作文と書いたが
その内容は、補助金活動の実効性よりも
申請書の文書としての整合性さえあれば通りやすい
との話があちこちで聞かれる
つまり、効果はあろうがなかろうが
書類さえちゃんとしていれば補助金は使うことができる
そして、補助金の申請を書くのは素人には難しいので
必然的にこうしたことに慣れた組織が落とすことになる
実効性については報告義務はあっても
何かを追求されるわけでは無さそう
実際こんなんで上手く行くのだろうか?
と普通の感覚では考えてしまう
使う方法が限定され、書類に関わる人の膨大な時間、
そして実効性の不問
こんなのを目にすると、こうしたお金の使い方は
本当にどうかな?
と思わざるをえない
無駄が多すぎるのではないのか
使い道の実効性よりも、書類上の整合性だけを優先する
こんな方法は、最終的にもったいない使い方に終わらないか?
民主党に賛成するわけではないが
こんな書類優先のお金の使い方よりは
使い道自由なお金を、使う人のところに渡すほうが(子ども手当など)
現実的なのではないかと思ってしまう
それにしても、文書の整合性だけで
良し悪しを判断する人たちって
なにか大切な判断基準を失っていないか?
この分だと、確かに無駄なお金の使い方は
たくさんしているだろうな!
と容易に想像できるところが
悲しい限りだ