パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

熟睡のための方法

2018年11月30日 08時55分42秒 | 徒然なるままに

残念ながら朝まで一気に寝てしまうということはなくなった
月木の朝は近所の小学生と(あいさつ運動で)校門まで歩くようにしているが
度々集合時間に遅れている子がいて、彼はいつも寝坊してしまうのだそうだ
聞いてみると寝たのは10時、起きたのは7時25分、そこまで一度も起きずに眠りっぱなしという

それと比べて我が身は、最近は必ず一度は覚ます
目を覚ましてもまたすぐに寝られるのは良いが、朝起きたときぐっすり寝た感覚はあまりない
寝るのにも体力が必要で少しづつ低下しているのだと感じたりする

ところが時々、よく寝たと実感するときがある
振り返ってみるとそういう時は、いつもよりお風呂に長く浸かっていた(普段はカラスの行水に近い)
効果に根拠はないが、いつもと違うことはそれしかないので、これが利いていたのと思うようにして
暗示をかけるようにしている

もう一つ眠れたと感じるための方法がある
それは音楽をしっかり集中して聴くということ
先日は秋の季節の定番、ブラームスの4番の交響曲をフルトヴェングラー指揮の1948年の演奏のを聴いた
フルトヴェングラーが生み出す弦のズシーンとした太い音、彼自らは音は出していないのに気合が入っているという表現しかいいようのない熱気、
明らかに夢中になって演奏している人々の姿が連想できて彼ら演奏者にとってスリリングで楽しそうなこと
(第三楽章の金管のメンバーはのりにのってる感じ)
音楽はフレーズと楽器間との会話であったり、主題の展開の時間的変化とか、、そういうものを真面目聴くと感じられる
(だから音楽と向かい合うのは、聞き流すのはもったいなくて、集中できそうな時しか聴かないようにしている)
「すごいなー」といつものように自然に出たことばとともにレコードの針をあげる
フルトヴェングラーの演奏では第4楽章の終わり方は必然と思ってしまうが
他の指揮者では「変な終わり方」としか思えないのはつくづく不思議だが、
とにかく満足した音楽経験をしたのだった
翌日しっかり眠れたのは、きっとこの音楽体験のせいに違いない、、と勝手に思い込んだ

熟睡のためには自分の場合は「お風呂」と「音楽」をうまく使えば良いらしい
(音楽はただ聴いているだけではなくて、参加するように集中しないとダメだからいつもうまくいくわけじゃない)
浅い眠りに悩んでいる人たちは、どんな工夫をしてるのだろう?

 

コメント
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