どこかでその形から得られるほっこりした気持ちを求めていたのかもしれない
文化の日の昨日、巣ごもり状態が続いていたのでちょっとしたドライブにでかけた
行き先は、以前訪れたことのある浜松市の「ぬくもりの森」
今回は一人でいくことにした
なんとなく緩い感じで、ホッとする
どことなくガウディを思い浮かべる
曲線の多いフォルムが、それだけでほっこりする気持ちにさせるのは何故なんだろう
このほっこりした感じは、京都のぴんと張り詰めた印象を与えるお寺さんとは違う
お寺さんでも奈良のお寺さんはどこか鷹揚な伸びやかな感じがするが
京都のそれは庭の細部、石を敷き詰めた道、建物自体も「美は細部に宿る」
を実践しているかのよう
京都の張り詰めた空間もいいが、時々こうした欠点の多そうなものを見ると
「それで良いのだ」と思ったりする
外見だけでなく、家の中もいい感じで
室内の真ん中に木が堂々と鎮座している
不意にワルキューレの1幕のノートゥングが刺されたままになっている木のことを思い浮かべた
生き物が身近にある、、というのは良いものだ
スマホで撮影したのはこの他に
この場所、自宅から1時間位のところ、わざわざ高速道路を使わなくても
同じくらいの時間で来ることができたが、ナビに頼ったら290円の高速道路の料金を
支払うことに
それで帰りは、下の道を通った(龍潭寺に寄って、引佐から新城へ)
つくづく自分の住んでいる三河と遠州は近いものだと実感
それにしても行政単位の県というのは、思いのほか人の心に見えない壁を
作ってしまうのかもしれない
(これだけ近いのに、無条件に愛知県のスポーツチームを応援してしまう)
やはり、たまには外に出ないとあかんな!
最近はどうも雑な速読しかできていない!と反省を込めて
最後のページまでたどり着いたのが「近代の虚妄」
前半は興味津々で進んでいったが、真ん中くらいからよくわからない状態になった
ただそれは、何かと格闘している状態で、例えばゲームで色々体験しているとか
登山の途中で苦しんでいるみたいなもので、終わってしまえばそれなりに
充実感を感じたのだった
この本では小説にあるような登場人物に感情移入するのと似た経験を味わった
その登場人物は人間だ
正確に言えば西洋人としての人間だ
その人間の試行錯誤の取り組み、考えたこと、その結果等が、読んでいる自分の
内的経験として再現されているような気がした
西洋人の発想、物事を事細かに分析し積み上げる物事を突き詰めた考え方
そしてそれを確実にするための検証
それは広く一般化できるようなものと思われたために世界に広がっている
ただし、ここでよく考える人たちはつまずいてしまった
価値基準、あるいは判断基準となるものが本当に存在するのか
と考えた人が出てきてしまった(ニヒリズム)
昔はおおらなか理性、次は神の存在、そして現代は実証可能な(あるいは再現可能な)
科学が判断基準になっているが、この進んだ科学を元にした判断基準さえ
実験時の観察者の結果に与える影響等の問題が問題とされて
科学は結局のところ都合の良いツール(道具)の域を超えられないのではないか
そう考えることも可能になってきた
このあたり(この本に書かれた)理屈は正直言って慣れていないので、よくわからなかった
特に苦手なニーチェの言い分は、相性が悪いのかどうもストンと心に落ちることがない
だがニーチェのあとを引き継いだハイデガーの言わんとすることは、なんとなく分かる
ものごとを理解するというのは、左脳をつかった把握の仕方では満足できず感情を伴う
把握の仕方をしない限り真にその人のなかに落とし込まれない気がする
この感情を伴う理解の仕方は、人が育ってきた環境に影響される
それを地政学的というひともいるかも知れない
西洋人と東洋人である自分たち日本人は、深いところで感じ方に違いがある
理路整然とした西洋人の体系すら、色即是空とか無の概念をなんとなく受け入れている
日本人の感覚からすると、どこか違和感を感じるものがあるかもしれない
ということで、著者は本の最後に日本人の西田幾多郎を取り上げている
しかし残念なことに、これが難しい
ニーチェよりも理解困難とさえ思えてくる
要は、400ページを超えた大作を読んでも人に説明できるほど理解はできなかった
ということ
でも、読んでいてワクワクしたり、納得したり、そうかなと思ったり
それなりに苦労したのが面白かった
読書体験は、心にあるいは身体に何か刻まれるものだと思うが
この本はその内容を上手く説明できないとしても、
たしかに何かが残っていると感じられるので
パソコンに記録している読んだ本の評価には「優」をつけておいた
この本は「人が選ぶ本」ではなくて、「本が読む人を選ぶ」類の本かもしれない
でも、できれば、こういう本がベストセラーになって欲しい
そうなれば今の日本はもう少し変わる気がする