パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

イメージは史実より小説に左右される

2020年11月17日 08時29分28秒 | あれこれ考えること

わかりやすいが本当のことではない(かもしれない)説はいろいろある
坂本龍馬は司馬遼太郎の残したあのような人物だったのか?
(自分は司馬遼太郎とは相性が悪くて途中で読むのをやめてしまったが)
現実の世界では、彼の作品の影響が圧倒的すぎて、なかば事実のように
捉えられているのではないか

史実より作話(物語)のほうが人には伝わりやすいようで、従軍慰安婦の話も
史実よりは韓国のある人が書いた小説が影響力を持っているらしい

新約聖書はマタイ、ヨハネ、マルコ、ルカと4つもあるのだが
なぜ同じ物語を4人の人がそれぞれ残したのか、、を考えてみると
その4人には内的な必然性があったと思われる
自分の理解の範囲で、どうしても書きたいというような

ある人の物語をいろんな人が自己の解釈、人生観、価値観に従って書き残す
というのは、割合あることで、それは自分の解釈で独自の表現をする演奏家と同じかもしれない

前置きが長くなったが、ひところ夢中になった人物に土方歳三がいる
きっかけは驚くほどミーハーなもので、彼の写真を見た時に(多分壬生寺?)
なんとまあハンサムな男だろう(この写真は修正されてるらしい)
この男は何を考えて、何をしようとしたのか、、彼のしたことは間違っていたのか
などと興味を持ったのだ

それでまずしたことは司馬陽太郎の「燃えよ剣」を読んだ
相性が良くないが、これは最後まで読んだ
彼の人生の大枠は把握できたが、なんとなく「違う」という違和感は拭い去ることはできなかった
自分の理解する土方歳三は「最後の武士」と言われるような、ステレオタイプの人物ではないと思われたのだ

彼の残したものには豊玉発句集があるが、その俳句はとてものんびりしたものが多い
●おもしろき夜着の列や今朝の雪
●朝茶呑てそちこちすれば霞けり
●春の夜はむつかしからぬ噺かな
●来た人にもらひあくひや春の雨
●うくひすやはたきの音もつひやめる
このような俳句をつくる人間は本質的には田舎の素朴な人間に違いない
と思われて仕方なかったのだ

それで自分自身の想像する土方像を探すために、彼のファンがするように自分も彼に関する
いろんな資料(エピソード)を当たることになった

彼の特徴を示すエピソードは(自分好みの)
家業の石田散薬の材料を収穫する時、歳三の采配で作業を行った時には通常よりも短時間で終えることができた
新選組の見回りの列の順番は、日毎に入れ替わるようにしていた(先頭は死の確率が高いので公平にするために)
西本願寺に新選組が駐屯していた時、幕府の医師の松本良順に隊員に余りにも不健康なもの多いことを指摘され
それに対して、あっという間に風呂とかの健康に良い体制を作り上げた
どこかの戦いで、戦いに恐れをなした若い人間が前線から逃げ出そうとした
それを見た歳三は仲間が怯むのを恐れて彼を斬り殺した
その鬼のような姿を見た戦う人々は、戦いに集中(せざるをえなくて)して勝ちをおさめた
この話はこれで終わらず、その後日歳三は斬り殺された家族のもとに
「事情が事情とは言え悪いことをした」と見舞金を送った(と何かで読んだ気がする)
函館の最後の方の戦いで、夜になって疲れた戦士(殆どが素人)に一人ひとり酒をついで回って
「プロの相手によく戦った、礼を言う、本当はもっと飲んでもらいたいが、明日もあるので我慢してくれ」
と言ったような話がある(島田魁日記)

彼の考え方の変遷を見ていくと、当初、彼は合理的な考え方で物事はうまくいくと考えていたようだ
(ウェーバーの言うような法的な支配?)
誰もが理性で感じられるものを信じてそれに従えばうまくいく、、
そこにはある時は非常なものがあっても仕方ない(局中法度)
ところが、年齢を重ねるに従って人は理性のみでは動かない、、、と感じるようになる
その時に蘇ったのは日野にいた頃に培われたものものの性格(俳句で見られるような)
晩年になるとこうしたもともとの性格が表に出るようになった
つまりは「優しい人間」としての側面が見えるようになった
島田魁日記には彼は「兄のように優しい存在」といったようなことが残されている

こうした自分の中の歳三のイメージは、世の中に出回っている土方歳三のイメージ
そして今年コロナのせいで上映ができなくなっている岡田准一主演の「燃えよ剣」
でイメージされる歳三像とは、、明らかに違う
この自分の思い浮かべるイメージと、他の人が思い浮かべる(大勢を占める)イメージとの違い
それに対する解消法は、、自らの解釈を表現するしかない
ということで、新約聖書の何人かは自分の内的な声に従って、同じ物語を別角度から取り上げたのだと思う

でも、大半の人とか、世間はこうした考え方をしない
というかそんなことに関心も持たないだろう
それは仕方ないことか、それとも、、、あまり良くない傾向か、

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共産主義も新自由主義も、頭でっかち(と思う)

2020年11月17日 08時29分28秒 | あれこれ考えること

アメリカの若者はサンダーズ氏を始めとする左派、社会主義的な傾向のある政治家を
推しているとの解説を目にしたことがある
若い時期の正義感とか、自分たちが現実に味わっている社会的な現実に対する不満
経済格差とか人種間の不公平感を正そうとする純な気持ちは理解できる

ところが、日本では左派ではなく反対の右翼的な若者が多いようだ
右翼と言われるのに抵抗はあるのなら保守と読んでほしいらしいが
この場合保守の定義通りの分類かといえば、そうではなくて
単に自民党が保守との分類に入っているとの解釈でそれを支持じているように思えてしまう

トランプさんは左派とか社会主義者というだけで、全否定をしているようだし
彼に従う人たちもそう思い込んでいる
(日本の若者もそう信じているような気もする)
しかし、社会主義はそんなに全否定されるほど悪いものか?

と言っても、「歴史の終わり」にあったように制度としての社会主義・共産主義は現実的に崩壊した
昔、自分がドイツで出会ったホーランド人は「共産主義ノー、ノー」と言って
その当時のソ連がリードする社会を批難していた
そこには自由がない、、との不満が大きかったと思われた

共産主義が自滅の道をたどることになったのは、自分の拙い理解からすると
競争のない計画経済のせいで生産性が悪く、物不足とか製品の進歩がなくて
その結果として経済が破綻したもの大きいとされている

計画経済は、一部の頭の良いとされる人が「良かれ」と信じたことを実践したのだと思う
みんなが公平な「良かれ」と思うことは、当時は切実感はあり
それはそれなりの説得感を持ったかもしれない
ところが、問題は人の世は頭で考えたとおりにはいかないという現実で
思いは真っ当でも、実践するのは間違いや欲望を内在する人なので
頭でっかちに人を理想化した考えでは世界の実態の把握は不正確になる
結局はこの人という存在が官僚制度の膠着した状況を作り、
考えたとおりには上手くいかなかったのではないのか、、と思う

フロリダ州のキューバからの移民は、共産主義の欠点を自ら実感しているので
社会主義的な方向性には賛意を示すことができないのは分かる

ところが、現在の一般的に資本主義と民主主義とされる国が、上手く行ってるか
と考えると、どうもそうではないように思えてしまう
現実に経済格差は拡大し、社会の安定は脅かされている
資本主義の説明でいつも出てくるアダム・スミスの「神の見えざる手」の理屈とか
個人個人が自分の利益を求めて活動すれば、それが結果的の社会の利益につながるとする理解は
実は共産主義者の犯した間違いと同じように、人間に対する頭でっかちの抽象化した理解ではないのか

残念ながら人はそんなふうに、いい人ばかりの反応とか行動はしない
「歴史の終わり」にあったように人には「承認欲求」はあると同時に「優越欲求」がある
(自慢したいとか、自分たちの宗教のほうが優れているとか、、、)
またそうした内的な傾向だけでなく、心理学的にも「手にしたものは離したくない」とする
心理学的な傾向も、間違いなく存在する(トリクルダウンは結局夢のまた夢のように思える)

つまりは社会主義(共産主義)も資本主義(新自由主義)も、人に対する理解が
あまりにも頭でっかちで、単純化、理想化しているために誤差として現れるのが
現在の矛盾点のように思われる

ということで、思うに左派(社会主義)というだけで一方的に否定するのは良くないということ
また結果平等が確保される社会主義も不完全に違いないだろうということ
要は、いつの時代もそうであったように試行錯誤でより良い社会とかシステムを
当事者のその人間が見つけていくしか手はないと思う

こうなると、試行錯誤を前線に立って進めていく人の判断力の優劣が大事となってくるが
このバランスをとる人格というものが必要になってくると思われる
上に立つ人には、専門分野の深い知識や技術と全人格的な判断力をつい求めてしまうが
こうなるとまた、理想化した人間の存在を求めている、、との間違いをしてしまいそう

それにしても、今の日本の若い人には報道されていることをステレオタイプに信じ込むのではなく
まずはその前提から疑うかのような態度をとってほしいと思う
ついつい、今の若いもんは、、と言いたくなるが、自分たちのためには自分たちで解決するしか
手はないのだから、、

ところで最近は全く旗色が悪いマルクスだが、価格には労働という行為が反映されている
とする考え方は、なるほどそういう捉え方もあるのか、、と思ったりした
ここまでは抵抗感はないが、その先は、、、かな
(もっともよく理解していないので印象だけの話だが)

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