気の滅入る昨今、救われたのはこの本の読後感が良かったこと
少し前の中日新聞でも紹介されていた
「ラウリ・クークスを探して」宮内悠介
現代のロシアと周辺国の難しい問題も扱われているが
真正面から問題提起といった内容ではなくて
エストニアのどこにでもいるような普通の人ラウリの(プログラミングの才能は抜けているが)
生きていた足跡を探した物語
タイトルの「探して」というのは「誰が」探しているのか?
は最初は日本人の誰かがなにかのきっかけで探すことになっているのかと
想像したが、探していた人物は最後の方で明らかにされる
プログラミングの才能(そもそも関心を持つこと自体が才能があるのかもしれない)
は図抜けているが、それ以外は対して存在感のないエストニアの子どもラウリ
彼は引っ込み思案でいじめっ子の被害にあったり、ようやくできた友達との
僅かな幸せの時間を過ごす
この部分はヘッセの「デミアン」の子供時代の部分を思い出した
この本で一番不思議だったのは、情景描写等を精緻を期するために
ページが文字でいっぱいに詰まっているわけではないのに
(むしろ空き空きのページが多い)
そこに書かれている情景が容易にイメージできたことだ
必要最低限のこうした文体はとても読みやすい
それが作者の個性とか才能というものだろう
(何でもかんでも正確に描写すればいいというものではなく
肝心なのは読者の想像力を喚起することだと実感する)
なんとなく「朗読者」の読みやすかった物語を思い出した
バルト3国のなかのエストニアはロシアとの関係は複雑だ
ウクライナと同様にエストニアにもロシア系の住民がいる
エストニアがソ連からの独立を求める人々とそうでない人の
ちょっとした混乱が、ラウリ・クークスのやっと手にした幸福の時間を変えてしまう
ただし、その視点は社会問題化されずに、あくまでも小市民のラウリの物語として扱われる
最近の読書は物語を司どる書き手のポテンシャルの総量を感じて
それが不足していると実感すると楽しめないことが多いのだが
この本は文字量が少ないにも関わらず、書き手の総量を感じ楽しめた
そして終わり方が、ハッピーエンドとまでは行かなくても
極めて後味の良いものになっているのは、本当に救われた気分になる
この本の帯には高評価の文字が並んでいるが
読んだ者の感想として、「読んで損はない!」と断言できる
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